プチナース

「介護には慣れてるかもしれないけど、点滴をしたたまま家に帰るのはちょっと無理なんじゃないかな?」

これは主たる介護者である妻に対する病院側の評価。しかし、彼女は周りの「期待」を見事に裏切ってくれた。

 脳梗塞の後遺症で嚥下障害のある男性。誤嚥性肺炎を繰り返し、幾度も入退院を繰り返している。今回も誤嚥性肺炎で入院。いよいよ口から食べられなくなって、体に必要な栄養を点滴で摂ることになった。しかも、自分では痰をうまく出せないので、吸引器を使って取り除く必要もあった。家族の中に医療ケアができる介護者がいなければ、家に帰ることはあきらめるしかない。自宅は24時間365日看護を受けられる病院とはちがう。訪問看護師が入るとしても、家族だけで対応しなければならない時間の方が圧倒的に長い。

 利用者は妻と二人暮らし。妻は何度も病院に足を運び、痰の吸引、輸液バックの交換、在宅用輸液ポンプの扱いについて看護師から指導を受けた。しかし、なかなか一人でできるようにならない。

 どうして彼女はできないのか。いくつか原因がある。まずは高齢であり、理解力にもやや難があった。しかし、「病院」という環境で教わるのと、「自宅」という環境で教わるのとでは、「習得のしやすさ」に違いがあるはずだ。病院というのは、無機質な白い壁に囲まれ、医療機器と薬品の臭いが漂うなかで、白衣の看護師たちがせわしなく動き回る場所。家族にとっては、ただいるだけで緊張する「アウェイ」である。そんな場所でいくら懇切丁寧に指導されても、説明された内容が頭に入らないのも無理はない。そして、教える側の問題。看護師は「問題解決思考」で徹底的に教育されている。できていることよりも、できていないことに目が行く。相手がずぶの素人だとわかっていても、新人看護師に教えるように「ダメ出し」をしてしまった可能性はある(ちなみに「ダメ出し」は、相手がたとえ新人看護師であっても望ましくない教え方)。勝手な想像だが、一個のダメ出しで自信を失くし、余計に緊張し、覚えられないという「ダメ出しの連鎖反応」が起きたのではないだろうか。医療ケアをマスターするのは「ホーム」が最適に決まっている。

 そこで、退院前カンファレンスに出席させてもらい、「とにかく家に帰りましょう。しばらくは毎日訪問して(特別訪問看護指示により2週間は毎日訪問できる)、できるようになるまで取り足取り教えます。」という話をして、退院日を決めてもらった。

 利用者の命に関わるような手技以外は大目に見て、曲がりなりにもできるようになってもらうこと。そういうスタンスではないと、家族に医療ケアを継続してもらうのは無理だ。だから、まず褒める。どんな些細なことでも褒める。ちょっとでも上達したら褒める。徹底的に褒めまくる。できなくて当たり前、できたらラッキーだという地点から出発する。看護師には代わりがいても、家族には代わりがいないのだ。主たる介護者に「プチナース」になってもらうしか、利用者が家で暮らす手立てはない。

「あせらず、のんびり、ゆっくり、やっていきましょう。いつでも看護師が代わりにやりますから。」 

 まずは介護者を安心させる。そして、このメッセージを発信し続ける。それが在宅療養を成功させる秘訣だろう。

 違う利用者の妻の話だが、彼女は手の力が弱くて、点滴バックの隔壁を開通させることができない。(点滴バックに入った2種類の薬液を開始直前に混和させるため、上から強く圧迫して隔壁を破ること。)仕方がないので点滴バックを床に置き、足で踏んで開通させることにした。勢いよく踏みつけると見事開通!「輸液バックを足で踏むなんて不潔!」という声が病院の看護師からは聞こえてきそうだが、これができなければ点滴は交換できない。さらに、この利用者も喀痰吸引が必要だった。吸引は看護技術の中でも熟練を要する技術の一つで、吸引が苦手な新人看護師はたくさんいる。しかし彼は病院の看護師と妻の技術を比べてしまうため、思い通りに痰を引いてくれない妻に腹を立てていた。そこで私は、「奥さんは新人看護師よりもずっと上手だよ!」と大げさに褒め、これからは決して奥さんと看護師を比べないと約束してもらった。しかし彼が満足できるレベルに奥さんの吸引の技術が達するには、さほど時間はかからなかった。

 ところで、最初の話に戻るが、結局退院前の不安は杞憂に過ぎなかった。退院して2週間で妻は点滴交換も吸引も自立し、看護師の毎日訪問は不要になった。手順が頭の中にすべて入っていて、流れるように手際よく点滴を交換できるようになった。途中で点滴の指示が変更になっても(ビタミン剤のバイアルから薬液を注射器に吸い取り、注射針をつけて、点滴に混注することになった)、数回の練習でマスターした。血圧、体温などのバイタルサインを毎日測定し記録し、看護師が訪問した時に見せてくれる。在宅酸素も使い始めたが、酸素飽和度の値を見て、酸素の使用の是非を判断し、流量の調節もできる。もはや彼女は立派な「プチナース」だ。

 そして、彼女の「プチナース」としての真価が試される日が訪れた。

 午前中に訪問したときは元気だった。今までに聞いたこともないような、玄関にまで響き渡る大きな声で、見送りの挨拶もしてくれた。事務所に戻り、お昼近くなった。そして奥さんから電話が入った。「夫が口から血のようなものを吐いている」という。しかも意識は朦朧として反応も乏しい。酸素飽和濃度は80%…。すぐに酸素を始め、吐物の誤嚥予防のため顔を横に向け、血圧も測るよう指示を出した。一旦電話を切って、訪問診療医に連絡。彼女からまた電話が入った。血圧を何度も測ろうとしたが、測れないとのこと。呼びかけにも全く返事がない。かねて心配されていた腹部大動脈瘤の破裂が頭をよぎった。そのリスクについては医師から説明を受けており、妻にも覚悟はできていた。

「先生がすぐに向かうそうです!大丈夫ですか?」 

「大丈夫。」彼女は冷静だった。

 後日、訪問診療医に同行した看護師から電話があった。

「顔も体もきちんと横に向け、言われた通りの酸素を投与し、血圧も測ろうとしていましたよ。」

 もしかしたら、あの日の彼女は本物のナース以上に冷静な対応をしていたのかもしれない。気づけば、彼女は「プチナース」を越え、利用者の専属看護師と呼べる存在にまで成長していた。

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