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サイン

脳外科の急性期病棟では、患者の身体に様々な管がつながっている。まず、点滴やおしっこの管。術後に頭蓋内にたまった血液を外に出すための管。口から食べられない患者に流動食を入れるための管。管を勝手に抜去されてしまうと、患者の生命や身体に危険が及ぶ。だから、自己抜去のリスクが高い場合には、看護師は躍起になって患者の手を拘束する。

「○○さん、また鼻管抜いているわ!」

認知症のため施設入所中だった80代女性。脳梗塞で入院後は口から食べられず、経管栄養が行われていた。しかし、鼻から出ている管は彼女にとって「異物」でしかない。彼女は自分で抜いた鼻管(胃管)を握りしめ、何事もなかったかのように、すっきりした表情で訪室した看護師を見つめている。しかも、彼女は自己抜去防止のミトン手袋をはいたままで上手に管を抜いたようだ。

次の日から、彼女の抑制具はミトン手袋から「ペリカン手袋」に変わっていた。それは、ペリカンのくちばしに似ており、ボクシンググローブのように手指の細かい動きを制限する手袋だ。もうこれで管を抜くことできないだろう。しかし、さらに念を入れて、その手をベッド柵に括り付ける看護師もいた。

たしかに、経管栄養中の胃管の自己抜去は危険だ。中途半端に管が抜かれ、食道と気管の分岐部にとどまると、誤嚥性肺炎になるリスクは大きい。
しかし、鼻からのど元にかけて管がずっと存在している状況を想像してほしい。私も鼻管を入れた状態で食べてみたことがあるが、違和感が強く、意識しないと食べ物を飲み込めない。

鼻管の自己抜去は口から食べられるサイン

それまで私は、チューブの自己抜去をきっかけに口から食べられるようになったケースをいくつか経験していた。患者の中には、嚥下障害ではなく、意識障害が強くて食べられない場合も多い。急性期では体力が回復して、離床が進むと、意識も良くなり、口から食べたり飲んだりできることもある。 自分の鼻から出ている管に気づいて抜くという行為は、まさに意識も気力も体力も回復してきた証である。

試しに鼻管を抜いて、嚥下訓練用のゼリーを食べさせた。すると何のことはない。全部食べた。

これを機に胃管も手袋も外れ、彼女の食事量はどんどん増えていった。

さらに、鼻管がなくなったので、胃の内容物が鼻管をたどって逆流するリスクがなくなった。経管栄養のためにひどい下痢に悩まされていたが、下痢止めもいらなくなった。何よりも嬉しかったのは、鼻管が外れたことで元の施設に戻ることができたことだ。(彼女の施設では経口摂取が受け入れの条件だった)

鼻管を「自分で抜く」のはただの危険行動ではない。患者が口から食べる準備が整いつつある「サイン」と捉えることも可能だ。鼻管の自己抜去を「抑制を強化すべきサイン」ではなくて、むしろ「抑制を解除して経口摂取を試みるサイン」と見ることはできないだろうか。

患者の安全第一は言うまでもない。しかし、身体拘束に気を取られるあまり、患者の中で育ちつつある可能性に気づくのが遅れないことを願う。

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