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隠グリッシュ - 得るために忘れ、与えるために許す言葉。

「忘れる」って英単語が、好きで。

「forget」––––forとgetで「得るために」。

 忘れるってことが悪くなく思えて、好感が持てる。

 忘れるや覚えるという現象は、すごく不思議だ。

 何かの拍子に思い出せるってことは、
 僕らは、僕らのすべてを覚えているのか?

 もしくは、奇跡的に覚えていたことへ、
 ある瞬間、偶然、ピンポイントで、
 刺激(きっかけ)が与えられて、
 思い出す––––なんて、
 大した価値も見出さずに、
 そう、過ごしていくのか?

 前者と思いたい。

 パソコンのすごい最深部のフォルダに入ってるデータが「何だったか、すぐに言え」と、命令されても、分からないけど、いざ「それが必要」と言われると、きちんと何処に仕舞ったかを思い出して、それに向かって、的確にダブルクリックを繰り返せる自信はある。

 たぶん、僕らの頭の中も、その現象とさほど差はないはずだ。

 忘れるということは、イコール、然るべきところに経験を仕舞うこと。

 普段は、直接、目に触れないよう、日常というデスクトップから一時避難させておく。

 それまで得たデータを、すべて、デスクトップに並べて置いたら、とんでもないことになってしまう。

 その「仕舞う」って作業における僕たちの心境は、恐るべきほど無風で、配置して名付けるという記憶の根幹機能だからこそ「非情な冷徹ぶり」なんじゃないか?

 だからこそ……

 徒然なるままに、僕の瞬間を克明に記した手記を、不定期に残していこうと思う。いつか、僕が死ぬとき、それを片っ端から読んでいってもらうんだ。

 もし、それで、今この瞬間も含めた日々刻々を思い出せたのなら、僕らは、自身のすべてを記憶していることが証明できる。

 脳は、偶然、覚えていたある出来事を、たまたまの刺激によって思い出すわけじゃなく、すべて、そこに、ただただ、無造作、かつ、無尽蔵に、残ってゆく––––何だか、こっちの方が、for-get(得るため)感が、強い。

 recall : 思い出す

「再び呼ぶ」なんて––––

 おそらく、英語は、僕と同じ「記憶に関しては前者派」なんじゃないか。

 いつか、再び(Re)その名を呼ぶ日まで、目には見えなくても、そこに存在し続けてくれる––––過ごした時間のすべてが––––そう、信じたい。

 ––––2006年5月10日

(「forgive = 許す」は、 forとgiveで「与えるため」という、同期からのコメントがひときわ素晴らしかった。ちなみに、2008年9月17日の日記は、たったの1文で「今日は忘れ物を取りに戻って、忘れ物が何か忘れた」だった)


【 マ ガ ジ ン 】



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