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ニンジングラッセを嫌いと認めることで一歩踏み出せた話。

ハンバーグの付け合わせのニンジングラッセ
食べられなくはないけど、好きではない、でもなんとなく食べたくはない。

昔っから、そんなモノ、人、対象で溢れていたんだろう




ある日、レストランで最近の自分の中での流行りであるハンバーグを注文した。

やっぱり付いてきたか。。ニンジングラッセ。
食べられなくはないけど、なんとなく箸が進まない感じ。

「ニンジン嫌い?」「食べられなくはないけど、、」


食べ物の好き嫌いは少ない方。むしろ、片手で数えられるくらいしか苦手はものはない。

それに、ニンジンが“キライ”なんて思ったことなかった。

嫌いなものがない方が生きやすいと勝手に思い込んでいたからかもしれない。

それは食べ物に限らず、人も、モノも、場所も。
確かに、そう思い込むことで、苦手に分類されるものに出くわしても「別に"キライ”じゃないし」そうやり過ごすことが多かったように思う。

それは私にとっての長所でもあるが、自分に嘘をついているような気もする。

”キライ”なことを”キライ”と言えたら。

ニンジングラッセをきっかけに、“どっちかというと苦手な分類に入るもの”を、キライなことなのかもしれないって認めていくことで、“嫌いになっていい”んだって。
形のない、名前のない呪縛のようなものからスッと解かれていく気がした。

幼少期の経験や環境から、呪縛をかけることで自分を守っていたのかもしれない。

今は、そんな呪縛を解いていくことも、私がもっと自由に私らしく過ごしていくためには必要なのかも、と気付けた。

ニンジングラッセを食べられない私もキライにならないように。

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