「自分のこだわり」を優先することしか頭にない人にコストを掛けてはいけない(アスペルガー・境界性パーソナリティー障害の愛着は利用でしかない)


序論:経緯(読み飛ばしてください)

三度目のシャットアウトが行われた。(discordからの退出・SNSのブロックなど)

とても気前よくゲームをギフトしてくださる方だったのだが、
あまり「他者には他者の考えや都合がある」ということが認識できない方のようで
その方ばかりを贔屓するわけにもいかず、かといって少しでも困っている旨を伝えると周囲も含めたフォロー外しなどの行動化を起こされるため対応に困っていた。

そんな折、とある方の主催でゲームで一緒にマルチプレイをしようという話になる。

私としては
①おすそわけプレイ(リモートプレイ)で自分が楽しめるか(合うかどうか)体験してみたかったこと
②基本的にドケチであり、周期的にセールが来そうだったので待っていてほしかったこと
③配信を引退してから仕事以外の時間で過眠する状況が続いており、まともにゲームができるかもわからないので待っていてほしかったこと
➃そのシャットアウトの方は他のメンバーにもギフトされており、それなら私は呼び掛けの人(そのゲームがすごく好きみたい)からギフトしてもらいたいなと考えていたこと

という思惑があったし、言葉にして伝えていたのもあって
「事前もしくは事後に相談(※)のやりとりのないギフトは基本的に受け取らない」という自分のこだわりは妥協せずにいた。

※)「こういうところが好きだから一緒に遊んでみたい」「どういうゲームか知ってほしいから配信観に来て」程度のやり取り

なので、そのシャットアウトの方からのギフトは受け取らず放置していたのだが

㊀想定通りそのゲームのセールが来たので内輪のdiscordに報告
㋥なぜかそのシャットアウトの方が(私に送っていたギフトをキャンセルして)してギフトを買い直され、
㊂その際にsteamから「返品し過ぎはBANにしますよ」という警告をされたと報告される
㊃「BANにされたくないのでギフトを受け取って」と言われたので「ギフトを送る前に相手(私)が欲しがっているのかどうか確認してもらえないと困る」とお伝えしたところ、返答されないまま
㊄「私に責められた!」とdiscordサーバーを脱退
㊅後日そのゲームをその方がいないタイミングで遊んでいたところ(約束していた時刻に来なかったし、そもそも連絡の取りようがないため)、周囲の人のツイッターなどもブロック?されたそうです(配信はやっているらしい)

という経緯があり、
一度目と二度目は(一度目は他の人との擦れ違いだったので経緯の説明のために、二度目は依頼されたので)声を掛けていたのだが
「行動化による癇癪を起こせば周囲が言うことを聞くので、本人自身はまったく困らない」という自閉症スペクトラムや境界線パーソナリティー障害のパターンを強化させたくはないし
良い歳をした大人が自分の自由意志で拒絶している以上、こちらからその信念を折れさせるのはその方の尊厳を侵害する行為になってしまう。
(もし私に重度の認知障害があって、こちらが無自覚な加害者であった場合も距離を取っている方が良いだろう)

そのため、私からはその方に対する引き留めなどはしない、という選択をしている。


ASDの方の行動の何に困っていたのか

Ⅰ.「確認」のコミュニケーションすら取れないこと

自閉症児(大きなおともだち含む)の療育に携わっている児童相談員の方に(ざっくりとだが)お話を聞いていただいたところ

「自殺をちらつかせたり家庭内暴力を振るうASD(アスペルガー・自閉症)のお子様の御家族が苦しまれている一方で
 御本人は叱られない環境でゲーム三昧なケースが多いのですが、近しい状況ではありませんか?」

と問うていただいて、はじめて
あくまでも自分のこだわり(ゲームしたい?)を貫くためのNPCやchat-botとしての「利用」であって
「人間関係」ではなかったのだな(だから自分のこだわりを妨げられると簡単にシャットアウトできるのだなあ)と腑に落ちる。

今回の件を通じて、ずっと奇妙なだけだったASDの方の愛着(庇護欲求)に関して
「都合のいい愛着対象としての依存(利用)があるだけで、元から相談するなどの人間関係などは無いのだな」
と理解できたのはとても大きい収穫だった。

ロミオメールを送る心理もこういう感じなんでしょうね)

江ノ島だいすけ『人造人間100 第10話』(週刊少年ジャンプ2023年12号)

(※ちなみに私はADHD(サイコパス)なのもあって「利用」そのものは問題ないと考えている。
  個人の自由としてASDの方の愛着(庇護欲求)は一方的に搾取されるだけなので応じるメリットがないだけです)

ASの場合は「郭公の雛」的で、鶯の巣に鶯よりも体が大きい郭公の雛が「餌を持って来い」と当然のように口をあけて待っている図を想起しよう。
「相手が自分を必要と言う」ことを切望し、相手がその言葉を言ったら最後、巣に居座る権利があると認識し、
「必要と言っただろう」と当然のように異常にあつかましい理不尽な要求を巣の主に突きつけ続ける。
(逆に必要でないと言われるといきなり関係をぶち切る)

「あなたのため」と言って一方的な価値観の押し付けを続けたり、自立出来ないほどに「飼い殺し」を続けたり、
相手の自己決定権(尊厳)を奪いながら支配し罵倒し続ける共依存者は相手を利用していないだろうか?

(パートナーや社会などへの)八つ当たりのはけ口にするなどの非常に利己的な目的で相手を「利用」しているのに、
表面上は自分の責任だけは逃れられるように「相手のため」「必要」等の偽善的なカバー(偽装)をかぶせている。

『依存、共依存の本質』意味不明な人々
http://dryanbaru.xyz/?p=230


Ⅱ.他者に対する遠慮(距離・敬意)の無さ

今回の件でそもそも私がそのシャットアウトの方からSteamギフトを受け取らなかったのは
主催の方から「ひとつずつ(私も含めたふたりに)ギフトを贈ろうか」というお話をされていたのに
一方的に二人にギフトを送っていたことに違和感があったからだった。

ただ一方で(リモートプレイ周りのトラブルを避けたい目的に視野が狭まっていて?)
「あくまでも興味のないことは覚えていないのかな」程度に考えていたのだが
シャットアウトの方は御自身の配信にて「主催の人がギフトしないなら自分がする」と仰っていたらしく

結局のところ

Ⓦ他者が贈り物をしたがっていることは認識していたし覚えてもいた
Ⓧ知っていたが無視する・無碍にするという選択を安易にできる判断をしていた
Ⓨ自分の都合を通すためなら他者に確認するという工程を省略しても問題ないと考えている

という非常に自分の都合しかない思考が推定される。
(私はある程度ASDのことは理解しているつもりだったのだが
 ここまで自己中心的な都合で行動されているとは夢にも思っていなかったのでいい勉強になった)

シャットアウトの方からすれば「たかがギフトのことで文句を言うな」になるのだろうが

❶たかがギフトのことですら他者に配慮できず、
❷自分の都合だけを受け容れろと押し通し、
❸その態度を少しでも注意されると行動化に出て話し合いにすらならない

ような方と長期的に付き合って(こちらだけが合わせて)良好な人間関係になるとはとても思えないのだ。


Ⅲ.他者に対する思い遣りの無さ

今回の件では主催の方を筆頭に
「(自分があの時こうしていれば)その方も癇癪を起さずにやっていけたんじゃないか」
「自分はどちらの味方でもいたいし、自分が間に入って仲を取り持てないだろうか」などの考えを共有していただいた。

他の予定や学業・仕事もある中で、
寝る間を惜しんで「これからどうするか」という問題に向き合い、意見交換に付き合っていただいたことを本当にありがたいと感謝している。
(私に対する不満不信もあると思うので、本当に頑張ってくださったと思う)

では問題の発端となったシャットアウトの御本人はどうだろう。
(伝聞ではあるが)御自分の好きなように配信をされてゲームをされているとのこと。

これでは結局「自殺をちらつかせたり家庭内暴力で家族が苦しむ一方で
当のASD当事者は何食わぬ顔でゲームを邪魔されずに楽しんでいる構図」と同じなのですよね。

なので「自分のこだわりを優先することしか頭にない人にコストを掛けてはいけないな」と考え直しました。

羽海野チカ『三月のライオン 11巻』より
(主人公の零くんもおそらくは受動型ASDなのでこういうエントリでお借りするのも躊躇はあるのですが…)

これは自分のこだわりを通したいASDの方への配慮としても尊重になると思います。
互いに自由がある。折り合わなければ拒否する自由もある。(世話をしてあげたり従ったりする義務はない)
とても素晴らしいことですよね。

もともとASの人にはオオカミ的な「仲間はすべて理解しあい、その他は敵」というような人間関係の極端な愛着のパターンがあり、
文字通り、「愛着の対象は自分のことをすべて理解してくれるのが当たり前で、また相手のことはすべて理解したい」
逆に愛着の対象のほかの人には「大事なことを知られてもいけない」ということになる。

「外」はその愛着以外の相手に対するパターンで、自分の本性を出さずに表面的に合わせている世間的な行動だ。
自閉的なこだわりを除けば、表面上は多数派とほとんど変わらない行動ができる。
ただ、ほとんど外では「自己主張をしない」という特徴がある。

「内」は愛着の対象に対する行動パターンで、
特に思春期の母親への行動は「一切自分は我慢しないで母親がすべて受け入れるのが当たり前」という非常に極端な形となることが多い。
誰が見ても非常に自己中心的な要求をし続け、時に暴力にも及ぶ激しい母親に対するバトルとなる。  

この二つの極端な行動の変化は、意外だが「本人にもコントロールできない」。
自分でも不合理であると理解しても、母親の前では「止められない」という本人の証言がある。
このASの人の行動は外では大人しいのに、家では豹変して親の愛情を試すようなことをし続ける、
世間で「人格障害」「家庭内暴力」と呼ばれるようなケースと酷似している。

『ASの「内と外」の行動の違い』意味不明な人々
http://dryanbaru.xyz/?p=59


Ⅳ.自分の責任を安易に他者に擦り付ける責任感の無さ

児童相談員の方との話し合いの中で気付いたのだが
そもそもの「これ以上Steam返金するとBANされそう」という問題自体、そもそもその方の日頃の行いによる結果であって
私も含めて他者が尻拭いしてあげなければいけないような責任ではない
のだ。

アルコール依存症も含めた薬物依存症しかり、リストカットも含めた自殺企図もしかり
あくまで御自身が招いた問題は御自身で悩んで苦労しなければ何の学びにもならない。

主催の方は「少なくともギフトで返品されてBANはないはずなので(ブロックに走る前に)伝えてあげたかったな…」と残念がっておられたが
(そういった差し伸べる手が届かない状況にしてしまったことも含めて)
自分の行動が引き起こした結果に対処する術を身に着けることが必要で、
逆境に身を置いてこそ人は成長できると私は考えています。


後記

ここまで書いているが自分の中でも「言い方が悪かったのではないか、厳しかったのではないか」と思うことは多々あり
またやはり自分の言動で周囲に迷惑をかけてしまっていることを申し訳なく思っています。

(ASDの方が「自分こそが絶対に正しい」という強かな大前提で生きておられるのはとてもうらやましいと思う)

ASの人のコメントの中に、「私も人間です」という表現があり、実は私は「うらやましい」と感じた。
かつての私は、(自己正当化型ADHDからも)親からも繰り返し「変わっている」と言われ続け、
「自分は変わっているのだから他の人と同じように楽しくなくても当たり前なんだ」と思い込んで思春期を過ごしていた。

だから「自分もいつかは人間だと言える様になるのかなあ」というのが元々の私の自己評価で、
始めから「人間です」と言えるのはうらやましいわけだ。
私は極端かもしれないが、自己正当化型を除き、ほとんどのADHDは思春期に入る段階で自己評価が下がり、
その代わりに「自分に問題があること」を自覚する。

だからほとんどのADHDは「自分自身を変えなければならない」ことはすでに出発点から分かっているということを
ASの人に理解して欲しいと考える。
多くのADHDが、診断されて「楽になった」というのは、自分ですでに自分の問題を自覚しているからだ。

その立場からすると、「多数派と違って同じように問題があるのにそれを認めず、自分の問題を自覚しない」という
ASの当初の立場が非常に傲慢に見えると言う状況を想像してみて欲しい。

このブログで私がかなり「はっきり」書いてみた結果、ASの認知のゆがみに気付かれたASの人は、
ADHDから見るとある意味で「やっと自分たちと同じスタートラインにたどり着いた」ということになる。

問題の自覚が無ければ、診断が分かっても当然否認するだろう。
しかし問題を自覚された方は、「自分こそが普通だと思い込んで独善的に問題を自覚することを拒む」状態が非常に不幸で、
それこそ救いがたい状態であることは分かると思う。

そのためには、誰かが一度は「はっきり」言うしかない。
これは本人の前進のためにどうしても必要なことであり、辛くても乗り越えなければならないことである。

それが分かっていて、「相手が辛いだろうから」という「理由で本当のことを言わないことを
私は「配慮」とか「優しさ」と呼ぶべきではないと(個人的には)考える。

「問題の自覚』意味不明な人々
http://dryanbaru.xyz/?p=459

またASDでも一部の方は周囲に配慮して社会生活を送られていたり
さらに極々一部の苦労されてきた方は愛着対象に対しても意志を尊重されたりしているのも知っているので
一緒くたにしてしまうことになり申し訳ないなと思っております。


「自分が必要とされている!」になってしまう受動的な認知のASDの方への対策として

またおそらく人を近く感じるASDの方の認知傾向として
「自分が(他者から)必要とされている!求められている!」という受動的な物事の見方があったと想像しているので、
これは内輪のdiscordなど企画段階に関わらせてはいけなかった(システムとして隔離してあげるべきだった)な、と反省しています。

おそらく決まったことを告げる形で報せるだけにしておけば
(先にギフトを他の方から受け取っておくなど)御本人の特性を「他者との話し合いはできないけれど気前はいい人」として活かせたかもしれませんね。

どのみち御本人が拒絶された以上はこういった改善案も提案できませんし
配信者は根気が全てなのでゲーム募集主催者として上手くやっていけるのではないかなと楽観視しています。

ASの人はこだわりにしても、首尾一貫した価値観にしても、強い自分なりのスタイルと主張を持っており、
一見したところ「受身」というイメージは持ちにくい。

しかし実はASの人は「受動型」の他、「積極奇異型」の人でさえ「相手があってから」という受動性を持っている。

もともとASの人は「人との関係が絶えず意識されて」生きている。「相手がなくて自分だけで」ということはありえない。
その場に何名かの人がいれば、「自動的に」その人たちの反応を見ることに集中し、自己主張などは最初からはとてもできない。

自己主張も結局は誰かからの働きかけに「応じる」形でなされることが多く、形は「受動的」ということになる。

受動型の人でなくても、言葉での表現自体が「お母さんがこう言ったから」といった受動的な表現となることも多い。
これは良く分からない多数派から見ると、「責任転嫁」という風に見えてしまうのだが、
実は「相手との関係性の中での存在」「相手の出方を見てからの受動性」というポイントを考えれば
ASの人から見てそういう表現となることは想像することは可能だ。

「本質的な独自性、こだわり」と、「その場その場での徹底した受動性」 の両方が同居するというのがASの人の立ち位置であり、
傍からの理解を困難にしているポイントの一つだろう。

『ASの受動性』意味不明な人々
http://dryanbaru.xyz/?p=117

受動型ASが相手からのアクション無しに動けないことの意味を最近考えている。
私の印象では、「最初に依存できることを確認してからしか動けない」ように見える。

依存できることを確認すると、途端に完璧に「依存させる」ことを相手に要求する。
というよりも、最初から「依存させるのが当たり前なんだからお前から動け」ということになる。

「受動型」というのはむしろ結果としての行動の特徴で、その前に対人関係の依存があり、
それ以外に出来ないというのが受動型ASの根本的なあり方かもしれない。

その「依存」は、AS的な「最初から結果の完全な保証を求めないではいられない不安」から出てくるのだろう。
この不安は積極奇異型にもあるが、積極奇異型よりもはるかに支配的、
(愛着の対象への)要求が高いという特徴が、逆説的だが受動型ASの一番根本的な部分であるように思える。

誕生前の胎児の段階の母と自分の関係をそのままその後のすべての場合に求め続けているかのようだ。

ここでも時々目にする明らかに「誇大的」に見えるような部分が受動型ASの本性であり、
それを出せる、要求出来る相手かどうかを確認するまでは本性を出さず、
確認すると豹変して極端に依存的で当たり前の様に自分を依存させることを要求する「あつかましい」態度に出る。

「あなたが最初にこうしたから」「あなたが私を必要と言ったから」というのがすべての依存と過大な奉仕の要求の根拠になるのだ。

親は親であるから依存できるのが当たり前とも言える。
外では大人しいのに家庭内暴力の形になるのはこういうケースだ。

パートナーもパートナーであるから依存できるとなると要求と追求と自分が病気になることを繰り返すことになる。
子供でさえ、当たり前に「この子しかいないから」という意味で依存対象になることも実際ある。

この意味では(表面的な社会適応とは裏腹に)脳のレベルでは一番重症な自閉症的特徴を持つという風にも思える。
根本的な解決は、薬物療法でも発達障害支援でも何でも使って、まず「一人で保証の無い世の中を生きて行く」という決意をすることだろう。

『受動の意味と家庭内暴力に至る対人関係の依存』意味不明な人々
http://dryanbaru.xyz/?p=201


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