場所、音楽、香りに刻まれるもの
ありきたりでさえない曇りの土曜日の日こと。
昼下がりの恵比寿の街を1人で歩いていた。
めったに行かないその地で、なんとなく見覚えのある通りを歩いていた。
するとだんだんと、昔の彼氏に告白された、パンケーキ屋さんが見えてきた。
きゅっという、胸の音が聞こえた。
そこは幸せの始まりの場所だった。
でも、別れた今となってはもう、消えてしまった幸せを表す場所になってしまった。
とはいえ、別れてからもう、2年ほどは経つ。
それから新しい恋人ができた。
もう彼のことを思い出すことなんてそうそうない。
それなのに、彼との思い出たちが、走馬灯のように蘇ってきた。
告白された時のこと、大切にしてくれたデートの思い出、壮大で眩しいキラキラした夢を語る彼。
それから失恋した時の気持ち、心が消えてどん底だった日々、自分を取り戻すために自分磨きをめちゃくちゃしたこと。
そんな時を経て、偶然、パンケーキ屋さんの前を通り過ぎた。
一瞬立ち止まったが、中に入ったり、長い間店内を覗いたりしなかった。
私はいま、前を向いて歩いている。
もっと私に合う、恋人と一緒に。
身体を横切る風は心地よかった。
もしもあのパンケーキ屋さんの前を、失恋したばかりの頃に通ってたら、中に入って1人さみしくパンケーキを食べて感傷にふけてるか、パンケーキ屋さんから目を背けて、家に帰って涙でも流していると思う。
場所に刻まれる記憶は、時に残酷であり、時に背中を押してくれる。
同じように、音楽や香りも、思い出を想起させる。
歳を重ねると、こんな風に、いろんな場所や音楽や香りが、思い出とともに、心の奥の押し入れにしまい込まれていく。
10年後、20年後、どんな場所や音楽や香りが、心の奥の押し入れに入っているだろうか。
歳を重ねるって、そう悪いことだらけじゃないんだな。