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武田砂鉄『マチズモを削り取れ』で削られたもの

 四半世紀以上、日本で生きているのに気づかなかった。自分の身近にこんなにもマチズモ(男性優位主義)が潜んでいることに。

 本書では、多種多様な観点から社会において如何に男性が優遇されているか、如何に女性が不利な状況であるかを論じている。電車、立ちション、不動産、AV、結婚式、会話、部活、寿司、、、etc。具体的な事件や著名人の言動など、様々な事例を挙げながら、その背景を分析していく。正直読んでいて、男性である自分でも「男性に対して」不快感を覚える事例がほとんどだった。

 「立ちション」の事例は自分自身の行いを振り返って反省した。これは、本書の編集者である女性編集者のKさんが、新幹線でトイレを利用した際に便座が自動で上がっていることについて違和感を覚えたものだ。便座が自動で上がる、ということは座って排尿する男女をデフォルトに設計されたものではなく、男子トイレの小便器でもないのに「立って」排尿をする男性をデフォルトに設計されたものであるということだ。座って用を足したいときは、わざわざ便座を一度下げなければならない。何故、飛び散りなど衛生的にも問題がある「便座なのに立ちションをする男性」のために、女性が一手間煩わなければいけないのか、という趣旨である。そういえば、自分も新幹線や居酒屋で立ちションしてるな、と反省すると同時に、このような日常の些細な場面にも「マチズモ」は潜んでいるということを実感した。

 また、後半では部活に関するジェンダーの問題から日本社会における「体育会」文化の弊害について考察している。男性に時には命の危険を伴う理不尽を要求し、女性はそれを誠心誠意サポートする。この構図が企業でも引き継がれている。メインの業務は男性、女性はあくまでサポート役、というように。そんな環境では自然と、「意見していいのは男性だけ、女性は黙ってうなずいていろ」という風な空気が醸成されていく。

 女性に対しての抑圧とは、こんなに厳しいものだったのか。体育会出身者である自分にとっては、過去の言動や現在に至るまでの考え方を反省するきっかけになった。

 IT業界に勤めている私にとって、男女間での業務能力の差はあまり感じない。企業における男女比を単純に1:1と考えると、企業における約半分の社員がこの「マチズモ」によって抑圧されている。ただでさえ、人手不足が叫ばれている日本企業において、これはとんでもない損失ではないかと思う。そして、その損失を与えているのは我々男性であり、男性の中に大なり小なり根付いている「当たり前」の意識としてのマチズモだ。本書は、自分の中に存在する「当たり前、社会ってそんなもの」という意識を削り取った。だが、四半世紀以上生きており、ガッツリ体育会系の文化に触れてきたので、まだ完全には削り取られていないだろう。

 これからは、身近に蔓延っている「マチズモ」に対して、「?」を持って意識し、果たしてそれが本当に正しいことであるか、そういったことを考えていきたい。

 

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