【掌編小説】鯉の池の沈没船
祖母は極端な人でした。
「残さず食べなさい。よく食べる子が良い子なのよ。よく食べない子は悪い子ですからね」
祖母がご飯を出す時は、必ずそう言って出してくれます。過剰に出されることもないのですが、毎回そう言われるので、もし食べきれなかったらどうなってしまうのかと私は怯えていたのです。
今となってはどうもしなかっただろうとわかります。せいぜい、計画性のないお菓子について小言を言われる程度でしょう。
しかし、やはり私は怖かったのです。
祖母に嫌われてしまうことと、祖母を悲しませてしまうことが、堪らなく怖かったのです。
祖母は大きな家に住んでいました。一人で暮らすには広すぎる家なので、家の四分の三は使っていませんでした。
それでも、掃除は欠かさず行っていました。1週間のルーティンを組んで、家を全部綺麗にします。
長年、米ぬかで磨かれた木目はピカピカで、私は祖母の家の床で寝転がるのが大好きでした。
祖母の家は庭も広いです。
半年に一度馴染みの庭師さんを呼んで木を剪定してもらっているため、美しい姿をずっと保っています。
何故こうも美しいのかを訊ねたところ、水が綺麗だからだよ、と祖母は教えてくれました。
祖母の家は山の麓にあり、その山からの湧き水を流して綺麗な池を作っていました。もちろん、山の所有者は祖母です。そのため、自慢の池なのでした。
ただし、散水は水道水のはずなので、庭師さんの腕が良かったのだと思います。
祖母が池を気に入っていたのは水が綺麗だからではありません。池で鯉を飼っていたからです。
大きく立派に太った鯉で、それはそれは『よく食べる』鯉でした。
餌を投げると、格闘でもするかのように暴れ食いしますし、池の周りを歩くと必ずついてきます。池に落ちた虫は決して助かりません。
指を近付けたらしっかり噛みつきます。鯉の顎の力(正確には喉の力だそうです)は10円玉をも曲げてしまうと言われています。絶対にしてはいけません。
随分卑しく危険な鯉でしたが、『よく食べる』ため祖母は大好きだったようです。
池の底には船が沈んでいました。ぼろぼろの沈没船でした。池のほぼ真ん中に沈んでいたためか、引き上げられていませんでした。
その他のゴミは水の流れに沿って自然と廃棄されていましたため、綺麗な池にその沈没船だけが時を止めた様に静かでした。
沈没船に住み着く生物がいるのか、時折鯉が船を突いて襲っている姿を見たこともあります。
船がぼろぼろなのは、きっとそのせいなのでしょう。
ある日、祖母は亡くなりました。
九十六歳、大往生。
死者特有の蝋のような肌の感触は冷たくて、寂しかったです。覚悟はできてはいましたが、もっと会いに行けたと考え出すと、自分が薄情者のように思われ情けなくなります。
私は通夜の準備を手伝い、ひと息休憩しようと庭を歩きました。池の周りを歩くと鯉たちは相変わらず、節操なく寄ってきます。
この子たちはどうなるのかな、と考えが一瞬過ぎった後、直ぐに私の目は沈没船を探しました。
沈没船は記憶の中の物よりも形を崩し、より砕けて小さくなっていました。
そして、それは沈没船ではなかったと気づいたのです。
薙刀、小銃、日本刀。
様々な武器が棄ててあったのです。
どれも節々で折られているようでした。
幼い私は乗り物が好きでしたので、水と関連付けられる人工物として、その塊を沈没船だと勘違いしたのでしょう。
祖母は、綺麗好きでした。
祖母は、優しい人でした。
祖母は、極端な人でした。
祖母は、美しい人でした。
祖母は、大きな地主でした。
祖母は、皆から慕われていました。
祖母は、よく食べる子が大好きでした。
祖母は、戦争の時代を生きていました。
沈没船は、今もゆっくりと朽ち続けています。
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