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【掌編小説】ネガティブアイス

 玄関の扉は死ぬほど重たかった。
 資料の溢れた鞄を下ろすと今度は腰が重たかった。疲労の熱が足に溜まって動きを妨げる。キッチンまでが遠くて、泥の中を歩くように惨めだ、それでも何とか歩いていく。私の気持ちとは裏腹に、身体は考えないことを覚えていた。奴隷のようだ。
 冷蔵庫に頭突きを食らわしながら、製氷室を引き出した。欠片と結晶が雑然と埋もれる中から一つを取り出して口に頬張る。
 冷たい。
 噛んで砕く。
 冷え過ぎて痛い。
 吐き出すのも億劫なので、冷たさが馴染むまで待とうと決めた。「待つ」という判断が私をその場に座らせた。動けなくなった。
 ため息を、一つ……。
 奥に溜まった熱いものが、冷気で蓋をされて出ていかない。溜まった汚れを吐き出せずにいる。この毒はいずれ再結晶するだろう。気泡の入った氷のように美しくない氷になるのだ。噛んで砕かれる氷になる。
 ふと、自分のネガティブに面白くなる。
 その瞬間、吐き出した空気。未だ冷たい。
 そんな私を客観視する私がそこに現れる。
 そして、呟く。
「あー。猫飼いたい」
 どっちの私が呟いたのか。その施工を捨てた後に言葉の意味をようやく精査する。
「ふふっ……」
 丸く小さくなった氷を猫に与えて、それを警戒しながら舐める姿を想像する。昔、そんなことがあったような気がして、しかし、ぼんやりと正気に戻った。
 少しだけ、風呂場に移動する元気だけ、湧いてきた。

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