見出し画像

心が弱っているときに気をつけたいこと

更年期を迎えて、普段からメンタルが沈みがちな私はいつも以上に
心が弱りがちだ。
そんなときには、SNSがとてつもなく辛くなることがある。
架空の世界。
だれも本物かどうかわからない。
前提条件はわかっているつもりなのに。


距離をおく

一つ一つの言葉や表現に大きく反応してしまいがちなときは、距離を取るように注意している。

普段ならなんとも思わないことでも、心が波打つ。

そんなときには、見ない。離れる。距離をおく。


自分の心を見直す

何がつらいのか、何に反応しているのか。
自分の勝手な思い込みや過剰反応であることも多い。

絶対につぶやかねばならない理由など、何もない。
気がつけば画面を開いて、仕事をする時間を浪費しているだけ。


だったらどうしてやめないの?

どうしてやめてしまわないのか。
そもそもメリットを感じなければ、今すぐやめても問題なんてありはしない。

私は普段、パソコンや本に囲まれた場所で一人きりで仕事をしている。
狭い業界のさまざまな出来事や新しい情報に触れる機会を失いたくない。

有益な情報を教えてもらえる大きな場所。


交流の場

もう一つはゆるく人と交流できる場所として残しておきたい。

私は家族以外に自分の本音を語る人がいない。

さみしいと思われるかもしれないけれど、傷つけられ、傷ついた結果
私が望んで今の状態を作った。

顔も知らない、年齢も関係ない、同じような立場というだけでつながる場所。
快適に感じた。


本音を語ってしまう自分

仮想上の交流の場でありながら、私はすぐに本音で反応してしまう。

ある意味、不器用なバカ正直者なのだ。

自分にオブラートをどれだけ被せられるか、逆にどれだけ晒すか
器用さが求められる空間。

私はどちらもできない。

問われればありのまま答えてしまうし、思ったことをそのまま投げかけてしまう。


穏やかにそしてゆるやかに

現実の世界、仮想の空間を問わず、言葉や対応にも暴力的なモノがある。
そんなモノからできるだけ、離れて生きていきたいと望んでいる。

心が弱ったときには、いつの間にか暴力的なモノに過剰に反応して取り込まれそうになる。

架空の世界で威張りながら他人を傷つけている人とは関わらない。

穏やかにそしてゆるゆると過ごしている人とだけ、つながっていたい。

こんな風に思うのは贅沢なことなのか?
まだ私にはわからない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?