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三浦しおん「まほろ駅前」シリーズの良さを語ってみる

今回は「まほろ」シリーズについて。全三作で、タイトルは下記の通り。

まほろ駅前多田便利軒
まほろ駅前番外地
まほろ駅前狂騒曲

第一作の「まほろ駅前多田便利軒」が最も完成度が高く、特に人物造形が素晴らしいです。さっそく中身に入りたいと思います。

あらすじ

主人公は便利屋を営む多田啓介。ある日、高校時代の同級生である行天春彦に出会います。家もお金も無い行天が多田の事務所に転がり込むことになり、2人の生活が始まります。便利屋へ舞い込む厄介事を共に解決しながら、2人は友情とは少し違う、阿吽の呼吸とでも言うような心地よい関係を築いていきます。多田と行天はそれぞれ心に深い傷を抱えているのが仄めかされ、2人の過去も徐々に明かされていきます。

人物造形と関係性の描き方がたまらん

多田と行天は、何もなければずっと無言でいられる気安さがあって、でもお互い踏み込まない領域を持っています。さらに、その踏み込まれたくないと分かっている領域を、相手のためを思って踏み越えてくる人情深さもあるのです。それぞれの人間性を見せ、2人の関係性がゆっくりと確立されていく様子を描くのが本当に上手いです。2人がそれぞれに抱える傷は重く、そう簡単に解決させないのも良い。
 多田はお人好しで生真面目だけれど、独り言が独特だったり、お茶目な部分もあります。妻の浮気や幼い子供を亡くした過去が無ければ、彼はもっと陽気な人になっていたかもしれない。一方の行天は、宗教に嵌った母に育てられた特殊な過去を持ち、その過程で心を守る術を身につけている様子。ミステリアスで自分の心を読ませない一方、愛想良くして気に入られたり、ズケズケとものを言ったりと、人を翻弄させます。しかし、その根っこには大きな優しさがあって、時折り見せる本心が読者を虜にします。もう少し、行天のストーリーをお話したいと思います。

3作目でようやく救われる行天の心

 宗教に嵌った母親から虐待を受けてきた行天は、どこまでが「しつけ」でどこからが「虐待」になるのかが分からない。故に小さな子供と接するのを極端に怖がっています。そんな行天はシリーズ1作目、2作目と子供を避け続けますが、3作目の最後の最後にようやく、「自分は子供を傷つける人間だ」という思い込みを拭い去ることができます。
行天の「虐待の呪縛」は、彼が精子提供を行って生まれた子供「はる」を1ヶ月半預かることで解きほぐされていきます。小さな命が側にいることを喜ぶ多田とは対象的に(ここの多田のじんわりと湧いてくるような控えめな喜び方もなんとも愛おしいです)、できる限りはるを避けようとする行天。しかしいつものようにトラブルが発生し、乱闘騒ぎに巻き込まれ、刃物を持った男がはるに襲いかかります。はるを身を挺して守った行天は、騒動が終わったあと、多田に「あんたの言うとおり、はるを預かってよかったかもしれない」と心の変化を吐露します。
そして、

「いざってときに、はるを痛めつけるためじゃなく、守るために体が動いた。それがなんだか俺は…………」
しあわせなんだ。

と小さな声で多田に言うのです。行天が健気で愛おしくて、泣きたくなります。


サードプレイスの役割を担う多田便利軒

 多田便利軒は、依頼が終わったあとも気軽に訪れたり相談したりできる場所として、登場人物たちのサードプレイスの役割を担っていると感じます。手放しで「助けて」と言える人がいる心強さってどんなものだろう。登場人物たちは良き世界に生んでもらったなぁと羨ましいです。


最後に

醜い人間ばかりの現実で生きているから、こういう物語を読むと心が洗われる気がします。多田や行天のような、フィクションにしか存在しない人に会うために本を読んでみるのもいいですよ。

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