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太田酒俱楽部オンラインマガジン

全国の居酒屋をめぐり、数多の著作を世に問うてきた 居酒屋探訪家・太田和彦のオンラインマガジン。 毎月2回更新される「コラム」「フォト日記」「太田図書館」「お便り交歓室」など多彩な… もっと読む
好評の「コラム」「フォト日記」に「太田図書館」「お便り交歓室」を加えた、太田さんの魅力たっぷりの品… もっと詳しく
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2021年7月の記事一覧

太田図書館 #2

  「居酒屋道楽」新潮文庫・693円(絶版)/河出文庫・979円 月刊『小説新潮』で三年の長期連載を終え、もの書き仕事の面白さと多少の自信もつき、その後同誌で年一回ほど単発で発表したものを集めた一冊。  「隅田川に沿って、東京の居酒屋を歩く」は、美女二人を助手に、東京の居酒屋の特徴を足で歩いて見きわめようとした書き下ろし。 -------------------------------------------------------------------------

お便り交歓室 Vol.02

 😊太田コメント 遠い「田吾作」まで足を運んでいただきうれしいです。観光地でない地方風土は、豊かな自然と、人々の落ち着いた暮しがすばらしく、日本という国の根を教えます。  地方居酒屋の良さは、その夜は現地泊ゆえ、遅くまで安心してゆっくりできること。昼間に知らない土地を散策する楽しみがあることでしょう。  行動力に敬意を表し、遠い地方の名店を選びました。交通費がかかるので2泊、2日続けて入っても楽しめます。必ず営業を確認、予約して出発。 どうぞ太田の紹介と言ってください。

フォト日記 Vol.09

  ※vol. 01 ~ vol. 05 までは無料で公開中

盃つまんで Vol.09

 「第二の人生で、暮らしたい町はどこですか?」というご質問をいただいたので少し書いてみよう。  十八歳で長野県松本から大学進学のため上京。東京で就職して以来、五十年を越えた。勤めを辞めて毎日通う所がなくなると、東京に住む理由もあまりなくなる。転勤の多い家に育ったため定住意識が薄く「どこに住もうが自由」という気持ちは常にある。  六十歳ころになり、どこか別の町に住んでもう一つの人生を持つのも面白いか、それなら異なる文化のある大阪、神戸、沖縄が浮かんだ。

フォト日記 Vol.08

    ※vol. 01 ~ vol. 05 までは無料で公開中

盃つまんで Vol.08

番組の新しい回の撮影が終わると私は放免となり、その後の編集も、完成試写も全く呼ばれず、もちろん口出しもゼロのおまかせだ。放送日がきて初めて、どうなったかなあとどきどきして見る。ああここ使ったのか、オレへんな顔してるな、この服はテレビに合わないな、などいろいろ反省あるものの、放送されちゃったんだから終わり、また次回と割り切っている。  いつも感心するのは背景につく音楽だ。この種の番組は、無音は緊張するので、あたりさわりのない音楽を小さく流す。

太田図書館 #1

     「自選・ニッポン居酒屋放浪記」新潮文庫・693円  デザイナーの私が初めて長い文を書いたのは、1993年「小説新潮」 10月号の「大阪でタコの湯気にのぼせる」だ。本業ではない気楽さで書いた居酒屋探訪記は面白がられ、松本編、青森編を書いた後、95年から毎月連載になった。 -------------------------------------------------------------------------------------    🎁 毎月抽

お便り交歓室 Vol.01

 😄太田コメント 盛岡、京都、神戸、松本、かな。 どこもよく知っている大好きな町。いつものビジネスホテルに泊まり、昼はぶらぶら町歩き、夜はなじみの居酒屋へ。  盛岡の昼は中津川べりを散歩して、「直利庵」の今なら名品「鮎そば」を。名居酒屋「とらや」「愛染横丁」が閉店したのは残念だが、八幡町 「総門」の八寸はベスト中のベスト。気楽に飲むなら「海ごはん しまか」で海の幸。繁華街・菜園の小さな店「ちろり」で「月の輪」お燗。桜山神社前飲み屋横丁の「MASS」も若さがあって気さく。あ

Offショット動画② 居酒屋日和 1

東京西荻窪と新井薬師駅周辺の居心地のいいお店にて。 女将との楽しい会話が聞こえてきそうです。 下記のURLからご覧になれます。(限定公開)

盃つまんで Vol.07

初夏の光がまぶしくなってきた。千駄ケ谷小学校近くのいつもの理容院へ散髪に。独身時代このあたりに長く住んだわが町に、今も毎月通うのがうれしい。調髪の彼とは一〇年以上だ  「角の紫金飯店、並んでるね」  「藤井聡太君が対戦で出前とって、人気になったようです」  そうか、近くの将棋会館なら出前の範囲。注文は「担々麺」だったそうだ。よく散歩した鳩森神社の隣りの会館には、たしか大山康晴名人による「王将」の大きな駒塚があった。紫金飯店は昔は六本木にあって、そちらへは時々入った。   ※

フォト日記 Vol.07

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