絡まる
綺麗になっていた。
ずっと黒のロングだった髪が、明るい茶色のショートになっていたのには驚いた。
紺のジャケットを来ている姿も、いつものラフな格好と違って新鮮。
僕が以前プレゼントした、ピンクのハート型ネックレスとの色合いもよかった。
でも一番変わったのは表情かもしれない。
何の曇りもない笑顔。
その笑顔には余分なモノを削ぎ落されて、固い芯のような強さを感じた。
「すごい、変わったね」
「以外にショート似合うでしょ」
「うん…」
空港の国際線フロアは多くの人が行き交い騒々しい。
近くでは恐竜が上に乗っている帽子を被った男の子が「アイス買ってよ~」と叫んでいた。
そんな旅行客の声をふわっと上から被せるように、日本語、英語を織り混ぜたフロアアナウンスが流れる。
「ごめんなさいね、LINEで別れを告げたうえに見送りに来てなんて…。ひどい女よね」
「いや、今までこっちのワガママに散々付き合わせてたしな。いいよ、最後くらいは」
本当は最後なんて嫌だった。
海外協力隊でフィリピンに行くなんて辞めろよって言いたかった。
でも、彼女の身体から放たれる決意のオーラみたいなものを感じ、そんな無責任な言葉は出てこなかった。
「確かに、健太のワガママに振り回されたわ。ドタキャンがあれば、急に会いたいとか言われたり。まぁ、今となっては、それも楽しかったけどね」
「そうだな、ひどかったな。今なら言うこと聞いてやるぞ。アイスでも買ってこようか?」
「いらないわよ、もう大人なんだから」
「ははっ、そうだな」
発着の時刻を知らせる電光掲示板の近くで、笑いながら話をする僕達は、他人からはどう見えるのだろうか。
練習や試合で疲れたあとは、電話一本で由美を呼び出していた。
そして、料理を作ってもらうことと、体を要求し満たしてもらい続ける日々。
「ずっと、いっしょにいたい」
そう言ってくれた由美の言葉に安心してしまっていた自分がいた。
2年後くらいに結婚でもして、自分の競輪人生のサポートをしてくれると勝手に考えていた。
そんな身勝手な夢は、もう叶わない。
切りたてのショートヘアに触れることも、薄く細い唇にキスをすることもできない。
形の整った胸を弄ぶこともできない…。
きっと、そういうところが原因なんだろう。
彼女は別れの原因は「やりたいことが見つかったから、健太に迷惑かけたくない」と言ってたけど、それだけじゃないと僕は思った。
去年、競輪選手の最高クラスS級S班に上がり、年収は1千万円を軽く越えていった。
メディアにも取り上げられ、そんな自分はほかの同年代男性に比べ、身体的にも金銭的に勝っていると優越感に浸っていた部分があった。
でも、由美に別れを告げられ、ようやく気づいた。
舞い上がって、うぬぼれていただけ。
自分は子供だった。
僕達は20分ほど立ち話をしてから、由美がこれから利用するチェックインのカウンター前まで移動した。
「ここで大丈夫だから。今までありがとうね。楽しかった。健太が頑張っているところを見れたから、私も行く決断ができたの。ほんとに、ありがとう」
由美は荷物を床に置き両手を重ねて、丁寧にお辞儀をした。
「いや、由美がいてくれたからレースで良い結果が出せたんだよ。こちらこそありがとう」
由美を真似るように僕もお辞儀をした。
「じゃあ、もう行くね」
「うん…」
トランクケースと手提げバックを持ち歩き出す。僕はただ由美の後ろ姿を、名残惜しそうに見つめることしかできなかった。
カウンター入り口前で、由美が振り返る。
「必ずオリンピック選手になってね!」
そう叫ぶと由美はつま先立ちになり、右腕を高く上げ大きく左右に振った。
そこには、何をするにも僕の後ろを付いて歩いていた、以前の由美の姿ではなかった。
「まかせとけ、これから全部一等賞や」
声を裏返させながら、僕も手を振って大声で返事をした。
由美は手を振り終わると、まっすぐにカウンターに向かった。
僕は逃げるようにエスカレーターに乗り、駆け足で一階まで降りる。
胸が締め付けられるように苦しい。
でもきっと、この苦しい原因を時間をかけて考えないと、前に進めないような気がした。
胸の奥に絡まった糸をゆっくり、丁寧にほどいていくように時間をかけて…。
人をかき分け、一気に1階まで降りてきた。
空港に来る前は見送りの後、ここで昼御飯をやけ食いしようと思っていた。
でも、全然お腹が空いてなく食欲が湧かない。
とりあえず自動販売機で缶コーヒーを買い、1階ロビーのベンチに腰かけた。
僕はコーヒーを飲もうとしたが視界がぼやけて、缶を開けることができなかった。
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