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小樽運河×夢

小樽の夢を語る会

本日小樽の夢を語る会|テーマ「小樽運河×夢」を開催しました。

小樽では8月に「峯山富美没後10年企画展」というものが開催されました。

https://www.otaru-journal.com/2021/08/post-73792/

今回はこのアフター企画として「小樽運河×夢」をテーマにこれまでの小樽を振り返り、小樽運河からこれからの小樽について考える機会を設けました。

参加者の方は今回も素晴らしいメンバーが揃い、とても活発に意見交換や情報共有が行われました。

こちら簡単でありますが今回のOPスライドになります。


小樽運河の歴史や取り組みについて

今回インスタグラムフォロワー1万人越え「Hokkaido OTARU Lovers」を共同運営されており、先ほどの峯山富美没後10年企画展にも携わった高山さんより「小樽運河の歴史や取り組みについて」説明をしていただきました。

インスタグラムでは峯山富美没後10年企画展の「グラレコ」も公開されておりますので、是非ご覧になってみてください。

以下小樽運河の歴史や取り組みについての説明を紹介します。


小樽運河論争のはじまり

小樽では運河論争と呼ばれる市民による運河保存運動の歴史があります。時代明治維新後、小樽は北海道の開拓の中心として急速に発展する歴史の流れがありました。

当時ニシンで栄えていたことや、石炭を輸送する港があったことから多くの人が小樽に急激に集まったようです。

そして大正12年に「小樽運河」が出来ます。

しかし小樽は間もなく港の時代が終わったことから運河も役割を失い、人口も減少、小樽は北海道の中心から「斜陽のまち(陽が傾いているまち)」と呼ばれるまでになりました。

その後、小樽運河を取り壊し自動車道にして札幌からのアクセスを便利にするべきという国土交通省からの方針があり、それに市民が反対し、「運河論争」という一大ムーブメントが起きたそうです。


小樽運河を守る会

そしてすぐに「小樽運河を守る会」が発足、当初会長が研究者で副会長がアーティストという少し変わった特色があったそうですが、1年目で会長がお亡くなりになり、副会長も辞任され、ドタバタされる事態がありました。

そこで自称「ただの主婦」と名乗る峯山富美さんがその後会長となり、歴史に残るドラマを築き上げたのです。

峯山さんはとても懐が広く、ほがらかな人柄で、多くの人から支持を得たようです。そして一緒に活動している人たちを母のように包み込んで、小樽運河を残すべく前に進んでいきました。


若者の動き

小樽の運河を守る会とは別に動きがありました。当時の若者が運河にて「ポートフェスティバル」という活気のあるお祭りを開催したのです。

ポートフェスティバルは潮まつり以前に開催されたお祭りで、若者の力で小樽運河に活気を取り戻しました。

当時B’zやBOOWYも来られたようで、布袋寅泰さんを知らないおばちゃんが布袋さんに荷物を運ばせたエピソードもあるとのことでした。

そうして小樽運河の風向きが大きく変わり、国会や経済界も運河を残すべきではないかという流れが生まれました。そして取り壊しを進めていた企業も、運河を残すべきであるとして運河の取り壊しはなくなりました。

若者の力が世論を大きく変えたのです。


私は運河を守れなかった

取り壊しはなくなったものの、折衷案として「小樽運河公園化構想」という小樽運河を半分埋め立てする計画が立てられました。

当然「全面保存」を考えていた小樽運河を守る会は10万人近くの署名を集めて対抗しました。

しかしここで「内部対立」が起きます。

そして話し合いの場を持つ前に工事が進められる展開となり、小樽運河に杭が打たれる光景に峯山さんが涙する光景が新聞記事にも取り上げられたそうです。

自分のせいで内部対立が起きてしまい、「私は運河を守れなかった」と・・会長も辞任され、小樽運河を守る会も解散され小樽運河論争は終結したのです。


その後の展開

その後小樽運河は功を奏したのか、観光の場所として大きく注目を浴びます。また埋め立てられた場所は遊歩道となり、観光する際のちょうどよいスポットとなりました。

小樽=観光

全国や世界からも多くの観光客が訪れるまちになりました。

しかし月日が経った現在の小樽は多くの課題があります。観光客減や大幅な少子高齢化など・・

そんな現代だからこそ「峯山さんの本当に守りたかった小樽運河とは」という視点や歴史がヒントをくれるのかもしれません。

この峯山富美没後10年企画も、当時小樽運河を守る会の運営メンバーだった方がほとんどで、その熱量に圧倒されたそうです。

峯山さんは観光のために小樽運河を残したわけではありません。(観光はたまたま後付けだった)

そこには単に「もともと身近であったもの」「いつもそこにあるもの」「一緒に育った運河の光景」など大切にしたいという想いが行動に移ったのかもしれません。


このように小樽運河論争の歴史と「私は運河を守れなかった」という峯山さんの想いを全体で共有し、ワークショップの方へ移行しました。

とても素晴らしい説明で鳥肌が立ちました。本当に貴重なお話をありがとうございました。


ワークショップ

ここから小樽運河×夢ということでワークショップの入りました。

ワークショップは非常に活発な展開となりました。以下スライド画像でまとめたものを載せていきます。


市民と小樽運河

スライド1


小樽運河清掃ボランティア

Canal Clean Team | Facebook

https://www.facebook.com/CanalCleanTeam/posts/1584964351689794/

スライド2


市外の方からみた小樽

スライド3


小樽運河のストーリー

スライド4


小樽運河と食

スライド5


小樽運河とお土産

スライド6


交通の課題

スライド7


小樽の価値

スライド8


小樽のイメージの固執化

スライド9


北海製缶第三倉庫

スライド10


運河のお祭り

スライド11


その他

スライド12

小樽市総合博物館VRツアー

https://koo-inc.jp/virtualtour/otarumuseum/


感想

スライド13


このように今回もとてもさまざまな意見交換や情報交換がされました。

小樽運河の運河論争と峯山さんという一人の人物のストーリー紹介があったので、いつも以上に熱量が入った会になったのではと振り返っております。

今後とも小樽の夢を語る会は、「夢語る×つながる×支え合う」をテーマに、未来につながるポジティブで楽しい会を行っていきます。

ご参加いただいた方本当にありがとうございました。

また次回もどうぞよろしくお願いします。


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