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 はじめまして、ロボとーちゃんと申します。この度は、数あるnoteの中から私のnoteを見ていただきありがとうございます。

まず、私の自己紹介をさせていただきたいと思います。

 私は、高校卒業まで北九州で育ち、卒業後熊本県のリハビリテーションセラピスト養成校(作業療法学科)に入学。

養成校在学中の冬休み地元に帰っていたときの12月30日交通事故にあい、右脚を失いました。

警察の方は、即死していると思ったほどの車の状態でした。

でも、生きさせていただきました。

私は、当時、作業療法学科の学生でした。正直、作業療法士になる夢を諦めかけていました。

しかし、右脚を切断した病院に同じ右脚大腿切断で義足の作業療法士の先生との奇跡の出会いで、夢を諦めずに作業療法士になることができました。

(目の前が明るくなると言われますが、目の前が真っ白な空間になり、その作業療法士の先生と私だけの空間になり、自然と涙があふれてきたことを今でも鮮明に覚えています。)

私は、生かされたのです。

私にしか出来ないことをやるために・・・

また、退院して復学して間もない頃、散髪をするため、熊本市内の美容室へ行った際、いきなり車椅子の男性に声を掛けられ(奇跡の出会い)一言目に「すいません。義足ですか?」(当時、この言葉には、衝撃を受けました)

そこで、車いすバスケットボールに誘われ入部することになり、障がい(個性)を持った友人が多くできました。

仕事面では、作業療法士として、病院や老人保健施設で12年間リハビリの仕事に従事しました。リハビリの仕事をしていく中で、自分のやりたい未来を考えるようになり、平成30年に独立し起業しました。

家族構成は、妻と子どもが3人います。(小学6年生、4年生、5歳で全部男です。余談ですが、私も3人兄弟で全部男、私の父は2人兄弟で男、祖父は7人兄弟で全部男です。)

私は、義足という個性を持ったマイノリティな人間です。そんなマイノリティが、小学校のPTA会長に就任し、3年目になります。(PTA会長には、なりたくてなるという珍しい人です。)

はじめ子どもたちは、「ロボットの脚の人だー」だったのが、いろんなことを小学校で行う姿を見て「会長さん、〇〇(子供の名前)のお父さん」と個性として受け入れてくれるように変わってきました。

子どもたちには、「足の速い子もいれば、遅くても絵が上手な子もいる」「絵の下手な子もいれば、字がきれいな子もいる」人それぞれ、違いがある。違いがあることが個性で、個性を受け入れるのも個性と伝えています。

 現在は、私は、『当たり前のことが当たり前にできる社会にしたい』という思いのもと、介護事業をやりながら、様々なプロジェクトに取り組んでいます。

このnoteの中で、いろいろ発信していきたいと思いっています。

興味を持っていただけたら、読者になってください。

よろしくお願いします。


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