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いろいろあるから人生楽しい vol.25 障害受容について

今日は、障害受容について書いていこうと思う。

障害受容の過程でいわれる段階は、いくつかあると思うが、簡単に書くと

①ショック期
発病の直後で集中的な医療とケアを受けている時の心理状況。
肉体的には苦痛があっても心理的には逆に平穏で、感情が鈍麻した無関心な状態。
現実に起こっていることが自分ではないような状態。

→ 交通事故の後、脚の痛みとかめちゃくちゃあったけど、冬休み明けには、学校に戻らないと、それまでに元の状態になるように、間に合わせないとと思ってた時期かな。

②否認期
身体的状態が安定して、そう簡単には治らないらしいことが本人にも少しずつわかり、心理的な防衛反応としての病気の否認が生じる時期。

→ 「えっ・・・マジで、元のような脚には戻らないの???いやいやそれやばいやろー」、「はぁ?マジで」と思ってた時期かな。

③混乱期
現実が圧倒的すぎて、病気が完治しないことを否定しきれない時期。

→ 「なんで俺なん。」「俺なんかした?」「もっと脚切断しなければいけない奴おるやろ?」「バスの後ろで足を前の席に挙げてる奴とかおるやん」と思ってた時期かな。
「作業療法士なれんやん」と思った時期かな。

④適応への努力期
前向きな努力が主になる時期。
外向的な攻撃では、結局問題は解決しないことに気づく時期。

→ 義足の作業療法士の先生に出逢い、「切断で作業療法士になっている人がいるなら、努力の量は違うかもしれんけど、作業療法士になれるやん」と思って、リハビリを一生懸命やってた時期かな。でも、思ったように歩けるようにならなくて、いっぱいつらい思いをした時期かな。

⑤受容期
最後に価値の転換を完成し、患者さんは社会や家庭のなかで、何らかの新しい役割や仕事を得て、生活に生きがいを感じるようになる時期。

→ 「歩けるぜー。ひとりで生活できるぜイエ―」「退院できたぜ。イエ―」「学校に戻ったぜ。イエ―」と思ってた時期かな。

※段階を進んだり戻ったりしながら、経験するとされています。
実習で恐怖から動けず、何もできない自分が悔しくて悔しくて、脚があれば、絶対出来てるのにと思ったりしながら、少しずつ人生という道のりを進んでいってた時期かな。

上記が一般にいう障害受容の流れ。

でも、結論を言うと、障害受容は存在しないと考えている。
理由は、元に戻るなら戻った方がいいと思うことがあるから。
それって受容出来てるのかな?と思う。

なので、私は障害受容という言葉を使わない。
障害妥協という言葉を使う。

麻生太郎言い方

この言葉が、良いか悪いかは、分からないが、私が体験し、経験してきたからこそ、この言葉がちょうどいい塩梅だと思う。

「障害もったんだもん、しょうがないよね」と思うこともたくさんあるよ。
でもね、私にしかできないこと、私だから出来ることもたくさんあるよ。

痛みや苦しみが無いわけじゃないよ、でもね、それ以上に、優しさや楽しさ、温かさに恵まれていると思ってるよ。

本当に死んでなくてよかったと思うよ。
生きていたから、今があるし、
生かされたから、まだまだやることがいっぱいあるよ。
ワクワクする人生を歩ませてもらってるよ。

ブログ書き始めて、初めてかもしれない、このブログ書きながら涙があふれてた。

そういえば、先日、脊損の先輩と電話をしていて、
「再生医療が進歩したら、脊髄神経復活するかもしれませんよ」
と言ったら、
その先輩は、
「別に一生車いすでいいけん。おしりの感覚と尿便のコントロールだけ戻ってほしいわー。贅沢言わんけん、それだけでいいわー」
とめっちゃ笑いながら言ってた。
正直、おもろいなーと思ったし、

障害妥協という言葉がぴったりだと思ったね。

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