自分と他人の分別
今まで自分自身の価値は他人によって決定されるものだと無意識的に思ってしまっていて、それ故に、人に振り回されて苦しくなってしまうことがある。こんなにしたのになんでこの人の評価はこんなものなの?と悪態をついていた時代もあった(相手からすると迷惑極まりない話)
だけど、自分自身の価値は自分で決めていくということが実は自立にも繋がって好きなことを見つける架け橋にもなるということを今日考えていた。他人に振り回されているようでは、やりたいことも見つかるはずがない。なぜこんな簡単なことに早く気づけなかったのだろう。昔の自分に会えるのなら真っ先に伝えたい言葉NO1ノミネート。
頭ではわかっていたけど、実感ができず苦しい思いをしてきた。人と知らずうちに比べ、差異を図り、自分自身の価値を見出す。
今日はこの洗脳のような呪縛から解き放たれた気がしたのでノートに綴っている。他人を見てから自分を見ると自分を色眼鏡で見てしまいがちなので本当の自分自身の価値というやつに気づきにくいのかもしれない。ずっと苦しくドブに落ちて視界もへドロやゴミで見えない中必死に酸素を求めて藻掻いているような気分から救い上げられたような気分だった。とても清々しくいい気分。こんな気分はかなり久しぶり。
同じ境遇の仲間と現状を語り合い、親睦を深めるのも楽しくていいが、やがてそれは澱みになり歪になって心に多大なダメージがくる。今日はそうではなく救い上げられた。水を得た魚とは今の僕に対して使うためにあるのかもしれない。きっと今僕が道を歩けば大地は花咲き、海は割れ、天は祝福の曲を歌ってくれるかもしれない(言い過ぎ?
おかげで今日はとても深く心地の良い睡眠がとれそうだ。
おやすみんみんゼミ🐌
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