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みんなで交わされる会話

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
必ず、訪れる死から目を背けず、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。

80歳代の女性Jさんは、お腹の痛みがあってかかりつけ医に行きました。医師から総合病院へ受診を勧められ、検査の結果、肝内胆管癌、肝転移と診断されて化学療法を受けました。

Jさんは農家で産まれて、20歳代で結婚してからも夫婦で農業をしながら子育てをして、農閑期はパートに出たこともありました。
ご主人は肺が悪く在宅酸素を使っていてJさんが介護していました。子供と孫と暮らしていて、私たち訪問看護の介入時は、ご主人は肺炎で総合病院に入院した後に療養病院へ転院していました。



娘さんは介護職で、ケアマネからの依頼は、娘さんの希望ということで訪問看護の利用に至りました。


つい最近まで、ご主人の介護をしていたくらいですから、介護認定は要支援1でした。日中家族は仕事に出ているので、昼間は家の前にある家庭菜園や花壇の世話をして過ごします。

吐き気が強い時は果物など食べやすいものを選んで、水分はイオン飲料や牛乳、甘酒で少しずつ回数を多くしてとっていました。1日に1000mlと体重の少ないJさんの必要な量ギリギリです。吐き気が強くてのめない時はかかりつけ医で点滴を受けました。

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訪問看護は月に2回、娘さんの仕事が休みの日に予定しました。介護保険は「自立支援」が目的として定義されています。娘さんは、お母さんが自分でできることを続けられるよう支援できる方でしたので、体調に合わせた生活の仕方は、訪問した時に相談を受けました。


医療保険の対象になる病名で、訪問看護の利用回数に制限はありません。
ケアマネと私たち訪問看護師は、病状変化が急に訪れることを予測して、毎週の利用を考えていましたが、必要な時に、訪問回数を増やすことになりました。

暑い時期でしたので熱中症が心配だと聞き、OS-1という経口補水液や、食事量が少ない時に補う高カロリー食品の紹介をしました。

Jさんの病状は、1日2回医療用麻薬を内服して、お腹の痛みは落ち着いていて、屯用の痛み止めは1週間に1度使っていました。
「吐き気の方が辛い」と話すので、屯用だった吐き気止めの薬を1日1回定期的に使うようになりました。


訪問時は私たち看護師に、仕事を通じて知り合った友人とウォーキングを日課にしていて、ランチを楽しんでいたことを教えてくれました。
その話をする中で、動けなくなる事や痛みが強くなることへの不安も語られました。

「友だちから、あなたは病気知らずで幸せ者だと言われていたのに、一番先に逝かなきゃいけない」と想いを話してくれることもありました。

私たち看護師は、背中や腕のリラクゼーションをしながら傾聴しました。そして、不安の一つである症状が強くなった時の具体的な対応方法を説明しました。Jさんは、今後の体調変化について「動けなくなっても、ここ(家)に居られるのか悩む、迷惑かけたくない」と話しました。

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診断から5か月後は、お腹の痛みと張り感が出て医療用麻薬の定期内服に足していた屯用薬は毎日1回に増えました。

「抗がん剤はやめたい」と言い、総合病院への通院も難しくなってきて、麻薬が処方できる医師の訪問診療を受けるようになりました。

この頃Jさんの食欲が落ちて、味覚の変化があって、さっぱりしたものを食べるようになりました。
「どんどんできない事が増えてくる。いつまでもつかな?」とJさんから聞くようになりました。

同居の娘さんは、本人ができなくなって気にしている農作業を代わりにしてくれました。

家族が少しずつJさんの変化を受け止めて、家事や仕事ができなくても安心できるように寄り添っていました。

私たち訪問看護師は、辛い想いをそのまま受け止め、家族が寄り添ってくれている事実をJさんと喜びました。
どんな想いも わかりたいと伝えたかったのです。

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翌月「夜に体が変で目が覚めた。こんなこと初めて」Jさんが不安を口にしました。


深夜に「息が荒くていつもと違う。救急車を呼んだ方がいい?」と長女から電話がありました。今できることとして屯用薬を使うことを提案したところ症状は治まり、翌日の訪問を約束しました。

訪問すると、肺の音がゼイゼイ聞こえて、呼吸は速く、酸素飽和度が低くなっていて、かかりつけ医に連絡し、往診が入りました。ケアマネと私たち訪問看護も往診に同席しました。

薬を飲み込むことが難しいので、医療用麻薬は貼り薬に変更になり、在宅酸素療法が始まりました。

それから酸素飽和度が改善してきました。
「動けないことが辛い」と言いましたが、ケアマネの手配で急ぎ用意された介護用ベッドやポータブルトイレを使うと「あまり騒がずひっそり死にたい」と・・・。

家族は昨夜から今日までの急な体調変化に不安な顔をしていました。連絡を受けて嫁いだ下の娘さんも来ていましたので、今後起こり得る変化の説明を受けて、これから、どこでどんな風に過ごしたいかを家族で話し合うよう促しました。

慌ただしく長い一日でした。


それから訪問看護は、毎日予定されました。
翌日に、娘さんから「入院してしまったら家族みんなが会えないかもしれない。本人も病院には行かなくていいと思っている」と家族の意向を聞きました。

娘さんは仕事を休み介護に専念することにしました。
程なく療養入院していたご主人が亡くなりました。

それから日を空けずJさんは在宅(家)で最期を迎えました。


最期をどこで、どうやって過ごしていくかの答えは、普段の会話が結論を出すヒントになります。

Jさんは言葉にしてくれていたから、気持ちが伝わったのだと思うのです。

人生会議という言葉を聞いたことがありますか?

「人生会議」とは、もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組のことです。

厚生労働省

大切にしていることを、前もって話し合っておくと、遺される家族を支えることになります。


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