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「生きがいを大切にしたい」

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
穏やかで気持ちよく過ごして、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。


Bさんは70代男性、食道癌・転移性肺腫瘍の診断で、精密検査の結果を聞いて、未治療を選択しました。
数か月後に食道の通過障害が起こって、妹さんが住んでいる他市の総合病院で治療を希望して、化学療法や放射線療法と胃ろうを造りました。

1年半経った頃に、抗癌剤治療の効果が無いことと、食道の腫瘍が気管に拡大して、ステント留置術や気管切開の提案がありました。
カニューレの交換が必要なることや、治療しても出血リスクがあることの説明を受けたBさんは

「生きがいを大切にしたい」

BSCといって、積極的な治療を行わず症状緩和の治療のみを行う選択をしました。

その後は近くの総合病院でフォローを希望して、通院が難しくなることや痛みが出てくることを予測して、かかりつけ医の利用も提案されました。

そこで、まず私たち訪問看護に依頼がありました。

Bさんは奥さんと二人暮らしで、近くに住んでいる息子さんも時々訪れていました。
大正琴の教室で、講師をしています。

訪問看護は大正琴教室のない週を希望して、隔週の予定になりました。在宅酸素を苦しいときだけ使うので、医療機器の管理と胃ろうの観察、困ったときの助言が私たち訪問看護の役割です。

        *

訪問を始めた月末に、肺の音がゼイゼイ聞こえて、声が枯れました。「動けば、苦しいよ」、酸素飽和度も一時的に90%へ下降しました。
左肩の痛みが出て、医療用麻薬が処方されました。定時の内服薬と屯用薬で調整して「薬が効いているように感じる」と表情は和らぎました。

体から外に出ている食事のための胃ろう部は、不良肉芽ができていて、お湯で洗って軟膏を塗って改善しました。胃ろうは小さな突起物がお腹から出ているのですが、日常生活で体を動かすと こすれてベタベタした汚れが肌着につくことがあります。
手当を続けたら肌着が汚れなくなってBさんは喜んでくれました。

注入食は1日3回の高カロリー栄養で、味気ない食事と感じてスープを足すことや、食間にイオン飲料を注入する日もありました。


仕事である大正琴教室は、敬老会の発表で忙しそうでしたが「目標があることは大切」と意欲的に出掛けました。
肺の音がゼイゼイして息苦しさが出てきて、私たち訪問看護は毎週訪問に回数を増やしました。

血痰や唾液が飲み込めなくて口から出していました。それを見た息子さんから「吸引器を使ってみたい」と希望がありました。在宅用の吸引機が設置され、私たち看護師は奥さんに使い方を説明して、在宅酸素は少し増量になりました。

血痰が続いて、総合病院で止血剤を使って症状は改善しました。入院の提案がありましたが「入院はしたくない」とBさんは意思を伝えました。


そこで、在宅療養を続けるために介護申請をして、担当ケアマネと相談し、往診医に診療してもらうことになりました。


肩の痛みが増えてきて、往診で薬を調整してもらうことになり苦痛は減りました。
起きあがり動作が難しくなって、介護ベッドとエアーマットが福祉用具で貸与されました。

寝ている時間が増えて、息を吸う時の狭窄音が出てきました。奥さんには今後予測される状態の変化や、連絡方法について説明をしました。

介入から3ヶ月が経っていました。

数日後、胃腸がお休みを始めたのか、胃ろうから注入したものは周りから漏れてきて、口からも上がってくるようになって、注入量の調整をしました。

奥さんと、両親を心配して泊まっていた息子さんに見守られて、深夜に天に召されました。

翌日は、Bさんが大切にしていた教室の日でした。

隔週の教室は続けていたので、生徒さんは前回Bさんの指導を受けていました。

奥さんの話だと、普段通り教室はあるものだと生徒さんは教室に揃っていたそうです。そこにBさんの訃報が届きました。
その日は、皆さんでBさんをしのぶための演奏会になったそうです。


色んなタイミングが重なった偶然が「生きがいを大切にしたい」想いに応えているようで、涙しながら話す奥さんと私たち看護師は同じ想いになりました。



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