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【小説】宇宙うさぎ12

 ダイコクは、ククチ荘の部屋の窓から見える曇天を眺めていた。つい先ほどまで雨が降っていたが、それも止み、蒸し暑い午後だった。早々と仕事を切り上げ、逃げかえるようにして戻ったこのククチ荘の一室が彼の自宅で、同居人の産山(うぶやま)うさぎはムゴムゴと鼻を鳴らして寝ころんでいる。一緒になって寝ころんだら曇天が見えたのだ。あまり良い天気には思えないが、産山うさぎは陽射しの少ない方が好みらしく、機嫌がいい。

「なあ、トビキチ。うまくいくかね」

 同居人の産山うさぎに話かけた。

「知るか。なるようになるだろ。あの目玉をあの小僧に渡したなら、事態はもう俺たちの手から離れたんだ。見守るくらいしかできん」

 本当にもう見守るしかないんだろうか。何かもっとできることは……。

「おい、ダイコク。余計なこと考えるんじゃねえぞ。これはお前が手出ししても救われない。あいつじゃなきゃいけないんだ。あの、山田とかいう小僧じゃなきゃな」

 分かってる。分かってはいるが、どうも落ち着かない。

 ダイコクは、くまくまジャーナルに山田が入社してきた日のことを思い出す。山田を見たとき、世の中ってのはつくづく難儀なもんだと実感した。自分と同じ、災難に見舞われる種類の人間。匂いで分かる。山田は自分と同じ種類の人間だ。書いたことが災いを呼ぶタイプ。たまに良いことも起こるが、たいていは手に負えない事態を招く。だから自分が、山田の書く記事をコントロールしてきた。

「山田には悪いことをしたな」

「しかたねえことだ。ほっとけばお前の二の舞になってたはずだ。お前が産山村の化け物を呼び出してしまった時は俺がいたからよかったが、あの小僧はまた少し、お前とは毛色の違う能力がある」

「能力、ねえ」

「能力ってのは、縁だったり業だったり、生まれ持った運命だ。お前は、書くものが化け物を生む運命。あの小僧は、書くものが世界を分裂させてしまう運命」

 化け物を生む運命、か。
 ダイコクは伸びをして、目を閉じた。あの日の、産山村の夜を思い出す。

まだ、駆け出しのライターだったころだ。ローカル雑誌で夏にホラー特集をやるという。趣味で集めた怪談話を自作ホームページにコツコツと投稿していた私を編集者が見つけ、仕事がまわってきた。私はギャランティの安い仕事でも依頼があったこと自体が嬉しくて飛びついた。とっておきの怪談話を書きますと約束し、さっそく取材へ出た。
ちょうどそのころ、産山村のとある草原で、夜な夜なストリートファイトをしているお化けうさぎが出るという噂を怪談仲間のネットワークで耳にしていたのだ。
産山村は阿蘇にある村で、観光地として有名なところだった。夏は、ヒゴタイと呼ばれるまん丸な青紫色のアザミのような花が咲く公園もある。池山水源に山吹水源と有名水源地もある。水のきれいなところは豆腐と日本酒がうまい。きっと土産に売ってるはずだ。怪談以外にも記事になる話がありそうな村だった。旅行記事を買ってくれるところはないだろうか。うまくいけば一石二鳥。そう算段し、出かけたのだった。
 ひと通り観光スポットの取材をし終えた夜、本来の目的の怪談話を書くために民宿の部屋から抜け出し、例のうさぎが出ると噂の草原へ向かった。草原は、不気味なくらい風がなく、静まりかえっていた。何枚か周囲の雰囲気がわかる写真を撮った。どんな化け物うさぎが出てくることやらと期待に胸を膨らませ、カメラをかかえてかがんでいると、どこからともなく悪臭が漂ってきた。およそ美しい村には似つかわしくない、悪意に満ちたような生理的嫌悪感をもよおす生ぬるくて生臭い、それでいて鼻と喉を刺すような痛々しい匂い。急激に気分が悪くなってきた。悪寒が走る。十メートルほど先の正面から、黒い、ハエの塊のような、輪郭のはっきりしない何かが近づいてきた。

 どこがうさぎだよ……。

 カメラのシャッターにかけた指が動かない。ついでに足も。声すら出ない。息をするので精一杯だった。臭い臭い。匂いがどんどんきつくなってくる。息が苦しい。吐きそうだ。もう目の前に黒い奴は立っている。

 喰われる――。

 そう思った瞬間、横から飛び出してきたもうひとつの黒い影。それが、悪臭の塊を蹴り裂く。噛みつく。おまけに頭突きをかます。ほんの数十秒で輪郭のはっきりしないそれは撃退された。あとには悪臭も残らなかった。

「あの……」

 助太刀してくれたそれに話しかけたら、怒鳴りつけられた。

「お前、遊び半分でえらいことしてくれたな」

 うさぎだった。しゃべるうさぎ。こいつが噂の主か。カメラを構えようとしたら、うさぎの回し蹴りが飛んできた。嫌な音がして、カメラが宙を舞った。

 ――レンズ死んだわ……。

「商売道具だぞっ」

 思わず文句を言ったら、それから夜明けまでこんこんと説教が続いたのだった……。

 その説教うさぎが今はとなりで鼾をかきながら寝ている。産山うさぎのトビキチと名乗るこいつとの出会いで世界が広くなった。というか世界は元から広かったのだ。自分の視野が広くなかっただけだ。トビキチの所為で、いやおかげでというべきか、今までにない出会いがあった。出会いによって事件を起こしたり、人助けをしたり色々な出来事があった。死にかけながらもそれらを乗り越えてきて、自分が今まで見ていた世界は、とても、なんというか、特別狭くはなかったが、見方が浅かったように思う。新聞の一面記事だけ見ていたような。ページをめくればいくつもの事件が起きていて、いくつもの感情が、問題が、ぶつかり合っていて。めくって、重ねて、積み上げて、世界は何ページ分の深さがあるのだろうか。そんな深い世界を分裂させてしまう山田の運命って、いったい何なのだろうか。
 ダイコクは、曇天の空を眺めながら考え続けた。


続く

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