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【小説】宇宙うさぎ26 最終話

 その夜は、広場のステージにみんなが集まってお別れの会が開かれた。ダイコク編集長、玉寺人事部長、天女様、宇宙うさぎ、地球うさぎ、オケラ、カンガルー、サイ、クジャク、サル、タヌキ、キツネ、シロクマ、カバ、水辺の鳥たち、芽吹きの季節を待つ植物、他にもみんなみんな。

 跳ねる、回る、飛ぶ。踊る、踊る。芽吹く、咲く。季節は変わり目。すべてがごちゃまぜ。

 天女様が琵琶を弾くと、リンドウが地面から湧きあがった。リンドウの花が咲くと、宙も地も濃紺で、合わせ鏡のようだった。リンドウの花中から火花が爆ぜ広がり、私の顔へ飛んできた。小さな火花は頬を転がって流れてゆく。熱くはなかった。やわらかな、綿毛のようだった。桜と椿と金木犀と百日紅が同時に咲いて、それぞれに散っていった。にぎやかで、寂しくなる夜だった。

 ……目が覚めた。ぬくい布団から這い出る。アパートの小さな窓から朝陽が射しこんでいた。
 有り難い……。私は、手を合わせて空を見上げた。

――有り難い。有り難い。
河原の羽虫がふわりと舞う。
――ご縁がつながった。
琵琶の音が踊る。
――毛玉っ子とあの人のおかげ。「天女様」と呼ばれる存在は、ゆっくりと川へ入った。ひざ下まで水に入り、それから、泳いでくる魚たちに身を任せて、すらりと流れて行った。

 一か月後、私はくまくまジャーナルに退職届を出した後、少し寄り道して帰ることにした。ダイコク編集長は、物語を書くための時間確保がしたいなら仕事を調整するよと慰留してくれたが丁重にお断りした。玉寺人事部長はニヤニヤ笑いながら、私も転職するんだよねえと言ってきた。驚いてどこに転職するんですかと聞いたら、幼稚園だという。

「山田君、覚えてないだろうけど、私、まゆみ先生だよ。分かる? 園児だった山田君が描いてくれた龍の絵、まだ飾ってるよ」

と言われて思い出した。画家になりたいと思わせてくれたあのまゆみ先生。画家じゃなくて作家になりそうですよと言いかけて、やめた。玉寺人事部長は何でもお見通しなのだ。

「ふふん。良い顔してるね。ダイコクの言った通り山田君はむしゃんよかとになったね」

 私は一礼してオフィスを出た。
 熊本城周りの坪井川まで歩いてきた。川に沿ってのんびり歩く。満月のことを考える。あのお別れ会のあと、月の出ているうちに宇宙うさぎたちはみな宙(そら)に帰ったらしい。少し寂しくも思うが、またいつか再会できるだろう……。私だって死んだら焼かれて、その火の粉は何かしらのエネルギーに置換されて、いつかは宇宙へ拡散されるのだ……。

 ぼんやり歩き続けていたら動植物園まで来ていた。チケットを買い、園内を散歩する。キツネとタヌキの檻を通り過ぎ、猛獣たちを横目にクモザルを見上げ、そのついでに空も見た。晴天だ。
 タヌキの一歩目は前足、カンガルーの一歩目は後ろ足、ヒトの一歩目は……。私の一歩目は、私の書く物語の一歩目は……。みんなを幸せにする物語ってなんだろう。不変の幸福なんてあるか? ずっとみんな同じ考えで同じ幸せを感じる? 私の書いた幸せは百年先に不幸に変わっていないだろうか。いや、百年と言わず数年で価値観が激変していないだろうか。幸せが不幸にひっくり返る世界が生まれてないだろうか。ああ、満月なら何て言うかな。……グダグダ言うな、だろうな。そうだ。グダグダ言っても私は書くしかないのだ……。せっかく転職するのだから……。
私はなんとなしに空へ手を伸ばし、両膝を曲げ、跳ねた。
 
 季節がいくつか過ぎ去ったある日の深夜、地球うさぎは、動植物園の入り口を入ってすぐの売店に忍び込んだ。山田の書いた本が並んでいる。タイトルは『カンガルー前線』。この動植物園の生き物たちが登場する冒険活劇だ。まあまあ売れてる。動植物園の売店に置いてもらえるくらいには。

 ――もっと目立つところに置けよ。

 地球うさぎは舌打ちして、本をレジ横、入り口横、中央のぬいぐるみテーブルの上へと並べていった。ついでに店内の商品の埃も掃っていく。ひと通り掃除が済むと、レジカウンターへ腰を下ろし、山田の本をぺらぺらとめくって読んだ。地球うさぎは憤慨したという書き出しから始まるその物語に、フンと鼻を鳴らす。半分ほど読み、また元のレジ横に戻した。

 ――やっぱり前半の俺の活躍が少ねえ。

 心の中で不満を漏らす。

 ――でも、いいや。そろそろ戻るか。

 売店の通気口からこっそり齧り開けた小さな穴。そこを通って外へ出た。外は白み始めていた。今日も園に遊びに来る子供たちを喜ばせる仕事が俺にはある。俺は、園で一番の人気者だからな……。
 地球うさぎはうさぎ舎へ向かって駆けだした。

 宇宙うさぎは、その様子を月から眺めていた。頭頂部を地につけ座を組んだ姿勢の、つまりは逆立ちならぬ逆さ座禅姿勢の彼の目玉には、宇宙の星々が映り込んでいる。その目玉の星々の奥にはさらに広がる宇宙があり、宇宙の層は何層にも積み重なり、長い長い螺旋を描いており、果ての事は、宇宙うさぎにも分からない。
    
                                   了


【主要参考文献】
ウサギの日本文化史 赤田光男 世界思想社
動物園の文化史ひとと動物の5000年 溝井裕一 勉誠出版
動物大移動ものがたり 竹田齊 熊日出版
素顔の動物園 熊本日日新聞社

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