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【小説】宇宙うさぎ13

 弦の振動が記憶を伝う。私とあの人とあの毛玉っ子との日々。産山の神様がお繋ぎくださったあのご縁。ご縁に恵まれたこの幸せは、必ず次の子どもたちに繋ぐ――。
 私の前には、おろおろと状況の飲みこめない青年。昔のあの人にそっくり。毛玉っ子にお尻を叩かれて、やっとこさ問題を解決して、少しずつ世界と向き合って。

「あなた、私と取引しましょ」

 少年の記憶の夢から覚めたこの人は提案を受け入れるかしら。ポカンと開けた口まであの人にそっくり。

「あなたの望みひとつと、私の願いひとつを交換しましょ」

 動植物園のミラーハウスに入って、美しいような恐ろしいようなおかしな夢を見て、目が覚めたらやはり天女様は私の眼前にまだいた。それからよくわからない取引を持ちかけられて……。

「頭の中ぐちゃぐちゃです。よくわからないこと言われても困ります」

 山田は頭を抱えた。

 しかし拒否できる状況だろうか。宇宙うさぎとやらは高圧的なもの言いで、こちらは優しいような恐ろしいようなもの言いで。しかも天女様の願いってなんだ。それから私の望みを分かっているのだろうか。転職なんだが。

「あの子、カンガルーと一緒に意地になってる元園長さん。そう、あなたに見てもらった夢の少年。説得して、楽にしてあげて」

 私にあの青いガラス玉を渡してきたあの少年のことだろうか。

「あの子が元園長? あの子は何を意地になっているというんですか? だいたい無関係な私が何を説得できるというんですか。私を過大評価しないでいただきたい。私は、しょうもない、たいして仕事もできない人間で……」

 そこまで言って自己嫌悪が襲ってきた。ああ、本当にしょうもない。できる後輩に嫉妬した。上司との信頼関係はない。いや、私が一方的に信じようとしなかった。友人のボランティア活動を冷笑した。馬鹿だ。恥ずかしい。クズだ。
 すると、天女様の、柔らかな掌が私の頭を覆った。

「その卑下した態度による苦悩は、彼を説得することによって解夏すると約束しましょう」

 顔を上げると、私は真っ暗な夜の動植物園のベンチに腰をかけていた。あたりを見回す。遊園地の遊具は静かに眠っているようだった。天女様はいない。美しい景色も消えた。あれも夢だったのか。私はちゃんと目覚めたのだろうか。
 正面の観覧車を見上げると、そのてっぺんのゴンドラの向こうに星々がチラチラと輝いていた。それから星明りに縁どられた黒い影がふたつ、動いた。こちらを見据える四つの目玉。真っ暗なはずなのに、目玉がこちらを見ているのは見えた。半円を描きながら、てっぺんからゆっくりと地面に近づいてくる。降り立ったのは宇宙うさぎとオケラだった。

「天女様と話したらしいな。俺の目玉をまず返せ」

 うさぎが凄む。怖くない。ふわふわの毛玉だ。

「いや、大事な預かりものだからふたつ揃えて返すよ」

「言うじゃねえか。二重スパイは最後に裏切るのが定石なんだよ。先に一つでも返せ」

「駄目だ」

「駄々っ子してんじゃねえよ」

「駄々っ子で結構。あんたの命令も、天女様との取引も、ダイコク編集長の依頼も、全部叶えるから……」

 しゃべっていると突然、涙と鼻水が噴出して止まなくなった。かまわない。泣きながらでも話す。

「あの少年と動植物園も助けるから。あと……」

 私の転職も叶えて……。

 オケラが私の肩に飛び乗って叫んだ。

「やる気、掘り掘り」

「オケラ、お前までアホの人間の味方しやがって」

「元気、掘り掘り」

 オケラに鼓舞された夜だった。


続く
 

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