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【小説】宇宙うさぎ19

 草木も眠る丑三つ時、動植物園の動物たちは眠らない。そろりそろりと檻から這い出すーー。

 私たちも穴ぐらから蛇のように這い出した。

「食いすぎた」

 満月がそう言って腹をさすっている。山のような小松菜サラダを食べた後、満月を始めうさぎたち、オケラもダイコク編集長も満腹になると、ちょっと仮眠とか言って寝てしまった。それを起こしてくれたのが玉寺人事部長だった。部長からゆすり起こされた時は悲鳴をあげそうになった。なぜ部長がここにとダイコク編集長に詰め寄ったら、満月の時と同様に上手くなだめられ、丸め込まれた。

「山田君、不知火ジュース飲む?」

「部長……」

 私はこんなタイミングで飲み物を勧められて困惑した。

「不知火?」

 ダイコク編集長が横から顔を出す。

「そうだよ。不知火ジュース。私のラッキーアイテムたい」

「オレンジジュースじゃなかったとね?」

 ダイコク編集長の驚嘆が、やまびこのように夜空に響いた。

「ちょっと、編集長……」

 夜の動植物園には不法侵入しているのだ。警備がすっ飛んでくることを私は心配した。ダイコク編集長は声のボリュームこそ落としたが、かまわず話し続ける。

「ついこの前も喫茶店でオレンジジュース飲んでラッキーアイテムって言っとったたい。あれは嘘ね?」

「オレンジジュースなんて一言も言ってないし、私は喫茶店で店主にいつものって言って不知火ジュースを出してもらっとった。私は常連だからね。あれは、私専用の特製不知火ジュース」

「はあ、本当ね。でも前から喫茶店のジュースはなんかおかしかねて思とったったい。だってオレンジジュースにしちゃちょっと色の薄かろもんて。でも喫茶店だけんなんか特別な作り方しとらすとだろて思って、わざわざ指摘するのも失礼かろち思って言わんかったし、聞かんかった。何ね、不知火ね。別によかけど」

 熊本弁全開でそこまで一気にしゃべると、ダイコク編集長は静かになった。満月がこちらを睨んでいたのだ。オケラたちも前脚を口元にかざして静かにしろとジェスチャーしている。

「ごめん」

 蚊の鳴くような声でダイコク編集長は謝った。

「そろそろ奴のところに突っ込むぞ」

 ――え。そんな特攻仕掛けるなんて作戦じゃなかったぞ。

 私は不安になり、満月に話しかけた。

「なあ、みんなで説得するんだよな。荒事にはならないよな」

「寝てる間に状況が変わった。奴らが夜の徘徊を始める前なら、カンガルーだけを説得したらよかったが……」

 珍しく話の途中で満月の方が黙った。視線の先には、虚ろな目をした動物たちの行列。先頭にはカンガルー。

 ――あれが……。

 闇夜にほのめく虚ろな目玉。血走っているようにも、泣きはらしたようにも見えるそれは、こちらを凝視して動かない。射すくめられ、動けなくなった。
 遠くで声が聞こえる。呪いの念。鐘の音。悲鳴。突風。真綿で首を締めるように、じりじりと近づいてくる。よどんだ熱気。ぼやける視界。

 息が苦しい――。

 と、倒れそうになったその時、弦の振動がそれらをかき消した。百日紅の花吹雪。羽虫とともに吹き抜ける白南風(しらはえ)。空気が入れ替わった。夜空を仰ぐと、そこには……。

「天女様」

 しかし、びょんびょん跳ねる黒い影が私に迫る。カンガルーだ。

 みんな逃げて――。

 黒い影の腹に私はめり込み、それから……。


続く

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