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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ1

 琵琶の響き、うさぎの跳躍。あの娘は何処、私は盲目。淡くぬくいこの毛玉が、私の視界を翻訳する。私は琵琶を弾く、語る、唄う。毛玉は、踊る、踊る、踊る。

 肌を刺すような冷え込みの卯月、私は毛玉を拾った。
 琵琶を弾いた帰路、私の杖の先にぶすりと刺さったそれは、道の真ん中に倒れていたのだろう。私の視界は真っ白だったり、真っ暗だったりして、道の小石にも気がつけない。人の感じとれる類いのものでもなく、おそらく息も絶えだえ。
「おい、人の道で寝るんじゃあない」
 私はこの時、大変気が大きくなっていた。ふだんは、周囲の目を気にし生きているのだが、今、杖の先に刺さっているのは人ではない。ならば、ちと横柄な態度をとっても良かろう。こういう時に人の本性がでる。私は他人様からみたら、大層偉そうに説教をしていたと思う。
「迷惑だろう? そんな往来で。年寄りが転んで怪我でもしたら、お前、面倒看れるかい?」
 と、杖から刺さっていたものがむくりと起き上がる気配がした。
「それが、貴様の礼儀か」
 おや、しゃべった。人だったかしら……。と思った瞬間、顎が弾けるように痛んだ。よろめき、尻から転んだ。
「何……」
 胸の辺りに、ぬくい、柔らかなものが、ある程度の重量をもって乗ってきた。これに蹴られたか。
「ふん。なんだ間抜け面して。人ごときが偉そうに」
 人ごとき……。やはり、こいつは人ではないか。しかし、ではいったい。
狐狸こりか物の怪か……」
「うさぎよ」
「うさぎがしゃべるか」
「目の前でしゃべっているだろう」
「目は見えん」
「聞こえてはいるだろう」
「屁理屈を。やはり狐狸だな」
「視野の狭い人間だな。うさぎをなめるな。しゃべることくらいできるわ」
「視野も何も目は見えんと……」
「屁理屈は貴様じゃねえか」
「ふうむ……」
 口で勝てん。
 ぐうう、と大地が揺らぐような音が、私の胸の上に乗っているうさぎを名乗るものから響いた。
「おい、何か食うものはないか」
「うさぎの? なんだ急に。草でも食ったらどうだ」
 それよりまず、私の胸からどけ。
「この辺りに俺が食えるような草はない。俺は特別なうさぎだ。人の食う飯の方が都合がいい」
 こいつも大概横柄なやつだ。
「何が都合だ。味をしめただけだろう」
 腰の袋には干しイモが入っているが。また、うさぎの腹の虫が鳴く。
「もう限界だ。何かないのか」
 うさぎが急に弱々しく頼み込んできた。調子が狂う。
「腰の巾着に干しイモなら……」
 言い終わらなぬうちにうさぎは私の胸から降りて、巾着を引っ張った。
「待て待て。出してやるから」
 私はそこから干しイモを取り出した。が、うさぎがどこか分からぬ。
「おい、受け取れ」
 柔らかな毛が私の手に触れ、干しイモが抜き取られた。咀嚼音が聞こえた。ぼりぼり、クチャクチャ。恐ろしい勢いで喰っている。私もこの得体の知れぬうさぎに喰われるのではないかと、少し身構えた。
 しばらくして、腹が膨れたであろううさぎがぽつりと一言。
「うまかった。礼を言う」
 拍子抜けした。うさぎは礼儀正しかった。次の一言は無礼であったが。
「ついでに貴様の琵琶も聴いてやる」
「ふざけるな。私の琵琶は飯の種だ。ただでは弾かん」
「では、家まで送ってやろう」
「結構」
 そう言って歩き出そうとしたその時、急に方向が分からなくなった。
 おや……。
 なぜだか道が分からない。
 私は杖をつき、数歩進んではまた数歩さがった。
 何かがおかしい。
 けけけ、と笑う声が聞こえた。
「何が可笑しい」
「お前、己が何処にいるのか解ってないな」
 心臓の音が大きくなった。私は耳をすまし、いつもより音を拾うことに集中した。
 ――聞こえない……。
 夜虫の羽ばたき、小川のさざめき、草木の寝息。私の夜の世界を彩る全てが、聞こえない。代わりに、怪しげな声が聞こえる。ケタケタ、コンコン、ズリズリ。それから聞き取れぬが、喋り声。
 ――ああ、この音、この感覚、覚えがあるぞ。
 人とケモノ、死物と生物、植物と動物、あの世とこの世……それぞれの境にある一線。全てがあいまいに溶け合って不可逆を可逆に変えてしまう不思議な一線の世界。私の目が見えなくなる直前に見た世界。
「私は、死にかけているんだな」
 毛玉が笑う。そして……。
「助け合わないか?」
 毛玉も、どうやら私のように生に執着があるらしい。私は、家に毛玉を招き入れることにした。

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