【小説】宇宙うさぎ23
地球うさぎは、穴ぐらからすべてを覗いていた。宇宙うさぎの行動、カンガルーの行動、それから人間たちの行動。
あの賭け事の夜、憎き宇宙うさぎの満月から勝ち取った目玉。あの目玉の片方がまだ手元にあればもっと少ない労力で監視できたのだが。思い出すだけで腹ただしい。草千里の月夜に馬糞(まぐそ)投げ合いの乱闘騒ぎを起こした満月。竹籠飛脚便の同志たちも同志たちだ。満月なんぞと喧嘩して。あの日は大切な藁編みの日だったというのに。十五夜の綱引きで使う大事な藁。月明かりにさらして清めていたのに、それが馬糞で汚された。大事な行事のための大事な藁編み。あれを間に合わせるために一族総出で藁集めからやり直していたら過労に倒れる者も出た。あまりの過酷さに青年団のうさぎたちにいたってはストライキなどという行動に出る者もいた。
地球うさぎは鼻息荒く、地団駄を踏んだ。
しかもだ、あの日の賭け事に参加していた産山うさぎのトビキチときたら。産山の神様の加護を受けているからって偉そうに。目玉を返してやれだと。ふん。賭けで勝ったのになぜと言ったら、イカサマを働いただろうと抜かしてきた。当たり前だ。あの迷惑野郎の満月に仕返しして何が悪い。産山うさぎのトビキチはこちらに一定の理解を示したようなことを言いつつも結局目玉を返せ、だ。何日も何日もあまりにしつこいので両目を返すふりをして片目はガラスを細工した偽物を渡した。それからバレるのも時間の問題だと思い、片目だけ持ち続けるのも面倒になり、だからといって宇宙うさぎの満月に返すのも癪だし、何かいい隠し場所はないかとうろついていたら都合のよさそうな奴を見つけた。動植物園のカンガルー。その胎内に宿る小さな命。
あの日は忘れられない……。私は自然体をよそおってカンガルーに話しかけたのだ……。
「や、カンガルー」
カンガルーは眠たげな目でこちらをちらりと見た。
「宇宙うさぎの目玉は要らんか」
「宇宙うさぎですって?」
「そうとも。あんたも話くらいは聞いたことがあるだろう。あの自由勝手な宙(そら)のうさぎさ」
「その目玉を地球うさぎのあんたが、なんで持ってるんだい」
「賭け事で勝って、貰ったのさ」
「本当に? 宇宙うさぎの目玉といったら世界を自由に渡れる飛千里の力があるって噂の目玉でしょう」
「そうそう。それだよ。あんた、胎に子がいるだろう。その子にどうだい。便利なもんで幸せに生きることができるかも知らん」
「何でそんないいものくれようってんだい」
「何、満月の野郎にはちょっとばかし腹の立つことがあってね。奴のあずかり知らぬ場所に隠してやりたいのさ。あんたは、子が幸せになる可能性のモノを貰うだけ。損はない。お互いいいことづくだろう。どうだ貰ってくれないか」
カンガルーの母は少し迷っているようだった。
「うまい話には裏があるからね。賭け事好きのお前の話は心配だね」
「そうかい。まあ、無理強いはしないさ。一晩くらいなら考えてくれてもいいし。でも他のやつにくれてやった後は渡せないからな。なんせもう片目しか持っていないんだから」
「片目だけ?」
「そうさ。産山うさぎのトビキチがもう片目を持っている」
「産山うさぎも賭けに勝ったのかい」
「いや、奴は賭けに勝ってない。イカサマした俺に説教かまして返してやれとしつこかったんでね、そんなに返したきゃあんたが返して来いと渡してやったのさ」
「それで産山うさぎは片目で納得したのかい」
「いんや。両目返すふりをして、片方は細工したガラス玉渡した」
「そんなので騙されるかね」
「すぐにバレるだろうな。が、あんたが貰ってくれて、そのあと黙っていてくれれば大丈夫だ。まあ別にバレたところであんたは責められねえよ。さ、早い者勝ちだよ。飛千里の目玉どうだい」
「明日まで考える時間をくれるかい」
「いいとも」
そして翌日、恐ろしい災害が起きた。
地が割れ、どこからともなく水が流れ込んできた。
カンガルーはうずくまってじっと耐えた。
――恐ろしい。いつも世話にやってくる人間も今日は来ない。
そっと腹を見た。
――この子を無事産むことができるだろうか。産めたとして、この子はこの世界で生きてゆけるのだろうか。
昨日の地球うさぎとのやり取りを思い出す。
――あの目玉があれば……。
夜、震え疲れてうとうとと眠りかけていたら、地球うさぎが現れた。
「大変なことになったな。大丈夫か」
「ええ。そっちは」
「この通りなんとか。でも穴ぐらの一部が塞がっちまって、行方知れずのままの仲間もいる」
地球うさぎは舌打ちして続けた。
「ここも大変なことになってるな。サイはプールの中から出てこないし、クモザルはずっと下を向いて頭を抱えてた。あんた、胎の具合は?」
カンガルーはゆっくり起き上がって答えた。
「今のところは大丈夫。でも人間たちも来ないし、もっと大変なことが起きたら……」
カンガルーと地球うさぎは同時に夜空を見上げた。
「目玉はまだあるの?」
「もちろんだ」
「この子にくださいな」
「もちろんだ」
「飛千里の力は本当かしら」
「……きっと」
宇宙うさぎの目玉を差し出した。カンガルーはそれを腹の袋に受け取った。
「ねえ、もし私があんたより先に死んで、この子が目玉のせいで苦しむようなことがあったら、あんたが目玉を取り出してやってね」
「分かった」
「あんた本当に親切だね。世界がこんなことになったんだからあんたも目玉の力が欲しいだろうに。何で?」
地球うさぎは首をひねった。
確かに。昨日までは、ただ目玉の隠し場所として利用してやるつもりだったのだ。何で仲間を助けることに使おうと考えず、カンガルーのところへ来たのだろう。
「赤ちゃんに罪はないからな」
そうだ。思わず口から出た言葉だが、これが本心だ。カンガルーの赤ちゃんに罪はない。赤ちゃんを助けるのに理由が必要だろうか。
「赤ちゃんはみんなの赤ちゃんだからな。カンガルーだろうと何だろうと助けて当然だ」
「ありがとう」
「じゃあ、もう行くよ。穴ぐらの仲間を探しに。あ、名前聞いてなかったな」
「モミジだよ」
「モミジ、俺の名前は五十六(いそろく)だ」
「子だくさんな名前だね」
「そうだ。縁起いいだろう。九十九(つくも)婆さんがつけてくれた名前だ」
「私の胎の子も、産まれたら数字の名をつけるよ」
「楽しみだな。じゃあ、お互いこの世界を生き抜こうな」
それから数年後、カンガルーの子がこんなことになっているなんて。
――俺のせいだ。宇宙うさぎの目玉の力でカンガルーの子は幸せになれなかった。
地球うさぎの五十六は、歯がゆい思いで成り行きを見ていた。
続く
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