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創作遍歴 その1『逃避から始まった創作活動』

自分の黒歴史とも言える
創作遍歴に関して記してみようと思います。

◇大学2〜3年頃
『逃避から始まった創作活動』

自分は高校時代から大学2年生まで教職課程を専攻していたのですが、大学くらいから教職と日教組の裏というか闇というか恐ろしい面が目につく様になりました。
今考えると気がつくのが遅いくらいだったのですが、母校の教職課程で頭のおかしい無能系の教授がいた頃から懐疑的になって、教職のブラックな面が目について、あからさまにやる気が無くなっていきました。
ただ、社会に迎合して社畜になりたくない、「働きたくないでござる!」というモラトリアム万歳状態になっていただけでもあるのですが。

学校の授業や実習も嫌な思い出ばかりが頭に残り、色々と悩みはしましたが教職課程を辞めることに。
辞めるきっかけになった無能系の教授にそれを伝えると、特に怒られる事もなくスムーズに辞められたのですが、別のマトモな教授には「君のような人間ではどんな世界でも苦労するぞ」とその人から初めてガチ目の説教を喰らいました。
今思うと当たり前のことですし、反論もございません。辞める手前の自分のやる気のなさを見られていたんでしょう。

じゃあ、お前は何をするんだ?ということで2年生のうちから気になる研究室に入り込んで研究したりしていましたが、本命は別にありました。

それが創作だったのです。逃避するように「俺ほどサブカルを見ている人間であれば売れるものを作れるだろう」という、本気で創作に向き合ったり、好きで創作を続けている人から見れば鼻で笑われそうな根拠のない自信を胸に、1つも作品という作品を作ったことのない男は創作する人間になって銭ころを稼ごうとしたのです。
「本気を出せば俺は凄いんだ、今の自分は正当な評価を得ていない!」という典型的な行動が伴っていない意識のみ高い人間として着実に歩みを進めていた時期です。「周りと違って既に研究室で研究もして色んなコネクションを作って、創作活動という大本命の切り札も磨きをかけてるんだ!」と、息巻いておりましたが中身のない薄っぺらい動機で動くカスみたいな大学生だと自分は評価しております。

今思い返すと、自分のオタクレベルはオタク界隈の中ではかなり低いです。
好きな作品はメジャーなものが多い、もしくは硬派ぶったり分かった気でいる人間が好きになるマイナーメジャー作品が多かったです。
他人の評価やレビューを参考に駄作を見ないようにして、良いものを見て良いオタクになって発信する側になるんだと息巻いていたのですが、それが間違いでした。
自分は良いものを知っていると通ぶって、知識人ぶっていましたが、他人が良いと評価した名作を見て、他人の評価を参考にした評価をして、底が浅くて才能もないただの凡夫であることから目を背けていました。この作品は分かってないだとか愛がないだとか、いろんな理由をつけて他者が叩いている作品を聞き齧りで批判する事もありました。
純粋に自分が興味を持って、それが世間的に駄作だったり批判点が多くともそれを自分が好きならそれで良いじゃないかという精神をこの時持っていれば、まだ違う創作者としての道はあったかもしれません。

そんな意識高い系の自分は、好きな売れ筋作品の良い部分のみを参考に色んな企画を考えました。
まず最初にチャレンジしたのは漫画でした。

ストーリーを描きたいのと、コンテンツとして漫画を1番消費していたという理由で手をつけたのですが、そもそも1枚も人に見せられる絵を描いた事がないことにその時に初めて気が付きます。
気づくのが遅すぎると思いますが、その時は本当にさぁ描くぞという状態になるまで、頭の中のイメージをアウトプットするのがどれほど難しいかを知ろうともしていなかったのです。
こういう人間が、絵師に無料やら法外に安価な値段で絵の発注をするのでしょう。その前に自分で絵にチャレンジすることでこれ以上の黒歴史を増やすことが無かったので運が良かったです。

そんなこんなで自分の絵力の無さを認識したショックから絵を描くのは一度諦め、別のルートを考え始めました。本気であればもっとこの場で努力をするべきだったのですが、薄っぺらい動機と覚悟しかない人間だったので、飽きるように逃げるようにと別ルートを探し始めます。
理想と現実の力量のギャップに打ちひしがれるという経験をして、それから逃げる選択をし続けたのが意識だけ高く、作品を一度も完成させたことの無い人間が生まれる主原因だったと思います。

今回は想定よりも長くなってしまったので区切らせていただきます。
続きは『絵から逃げた先はゲームだった』となります。
クソオタクのどうでもよい自分語りですが、読んで頂けると幸いです。

つづく


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