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カラーテレビがやってきた!興奮度マックス「タイガーマスク」 /おたくGさんの覚書:アニメ編その2

 小学校2年生だから1969年の秋ごろ、家にカラーテレビがやってきた。その日は学校から飛んで帰った記憶がある。帰ると既にカラーテレビは設置され、何の番組かは忘れたが、画面にはカラー映像が流れ、父親がその前でニコニコとドヤ顔で私を迎えた。カラーテレビが普及し始めたのが1968年頃からだから、家にあるというのはかなり早く、高価なものだったので、公務員だった父親の顔も今は頷ける。けっこう無理をしたはずだ。父親の新しもの好きは、母親にとって災いだが、子供にとっては感謝である。
 そしてその晩。カラー映像に高揚しているまま、「タイガーマスク」が始まる。”虎だ、虎だ、お前は虎になるのだ“と共に、虎の口に立つ伊達直人が飛び、タイガーマスクのマントが翻ってタイトル、そして主題歌。いや~いつ観ても聞いてもかっこいい。もはや鑑賞中は瞬きさえ忘れていたのではないかと思う。しかもこの日の「タイガーマスク」は覆面リーグ戦で、ゴールデンマスクとの闘い。金色に輝く仮面からの怪光線、タイガーマスクの肩に噛みつき飛び散る鮮血、興奮度はマックスに達し、身体は硬直、心はタイガーマスクの世界に完全に入っていた。カラーテレビに馴れるまでしばらくの間は、アニメを見る度にこんな状態だったようだ。
 そもそもカラーテレビがくるまで、アニメは全てカラーで製作されていると思っていた。モノクロテレビだからカラーで観られないのだと。しかし、この頃はまだモノクロ製作の作品も同時に放映しており、大きな勘違いをしていたと知った。アニメのカラー化も、カラーテレビの普及に合わせて進んだので、1967年頃から一部の作品でカラー化が始まり、ちょうど我が家にカラーテレビが来た1969年にピークとなって、翌年からは全てカラーで製作されるようになったのだ。過渡期だった1968年には、「魔法使いサリー」のように途中18話からカラー化という変則的な作品もある。「魔法使いサリー」はこのため、その後再放送される際は19話目からということが多かった。また、1作目の「ゲゲゲの鬼太郎」はカラーが主流になりつつある中、作風から意図的にモノクロで製作されている。「珍豪ムチャ兵衛」などはモノクロ製作のため一旦お蔵入りとなってしまったが、どういうわけか1971年になって放送され、国産モノクロ製作最後のアニメとなった。では最初にテレビアニメでカラー製作されたのはというと、1965年「海底少年マリン」の前身となる「ドルフィン王子」だが、全3話で実験的な作品だったため、同年半年後に製作された「ジャングル大帝」がテレビアニメの本格的なカラー制作の嚆矢とされている。
 さて「タイガーマスク」に話を戻そう。多くの子供、特に男の子を興奮させ、熱狂させていたのは、やはりプロレスそのものの絶大なる人気も下支えになっている。プロレスは当時ジャイアント馬場とアントニオ猪木がタッグを組む『BI砲』を抱える日本プロレスが主で、アニメのタイガーマスクもこの団体の協力を得て下敷きにしていた。なので、『BI砲』はもちろん、多くのレスラーがアニメの中で実名にて登場する。ジャイアント馬場などは、覆面レスラーゼブラーマンとして、先の覆面リーグ戦に参戦し、タイガーマスクとタッグを組んでフォローしている。登場した際は正体不明とされていたが、いやどう見ても馬場さんでしょと思ったものだ。
 日本プロレスは、その後「タイガーマスク」が終了して少し経った頃に分裂してしまう。『BI砲』も袂を分かち、ジャイアント馬場は全日本プロレス、後にアントニオ猪木が新日本プロレスを旗揚げ、この2団体が1980年代初頭、空前のプロレスブームを巻き起こすのだ。そして、そのブームにあやかって「タイガーマスク」の続編として、「タイガーマスク二世」が放映を開始。さらに、なんと新日本プロレスとのタイアップで本物(?)のタイガーマスクがリングに颯爽と登場。その華麗な技と共にプロレスファン以外の多くも虜にした。ただ残念なことにアニメの「タイガーマスク二世」は、今一だったようだ。私も第一話を見ただけである。なので敢えて感想は語るまい。ただ一話目でわかったのは、続編ではあるがアニメの「タイガーマスク」の最終回から続くわけではなく、原作の「タイガーマスク」の最終回を基に続いているので伊達直人は故人となっていた。
 ちなみに、現在リングで活躍しているタイガーマスクは4代目。また、アニメにおいては2016年にも、今度はアニメの「タイガーマスク」の最終回の続編として「タイガーマスクW」が放映されている。ただこの作品は全くみていない。
 今ではすべての映像がカラーであり、日進月歩で鮮明さが増している。さらに3DからVRと進歩する中で、テレビのカラー化などは、今にして思えば他愛もないことだったのかもしれない。ただ、当時情報発信の最先端であったテレビのカラー化は大きなインパクトであり、様々な影響を与えたのだと思う。そして何より、カラーテレビが来た時の純粋な昂ぶりと、鬼籍に入った父親のニコニコとしたドヤ顔は、年を重ねても忘れることはない。

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