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明日私は水を売られるかもしれない

と思うと眠れなかった。

『とあるイベントのスタッフとして一緒に企画を作っていきませんか?その辺りも兼ねてカフェで1時間ほどお話できれば。』というメッセージを頂き、とんとんと話が進んでいった。

出店者として参加したことのあるイベントでもあり、とても楽しかった思い出であったので、ふたつ返事で引き受けた。主催の方とまたお会いできることもとても楽しみだったのに、

ふと「水を売られたらどうしよう」

いう不安が脳裏をよぎった。

不安の種を蒔くとはうまいこと言ったもので、蒔いた瞬間に芽が出て枝が伸びあっという間に花が咲く。これでもかと溢れ出る想像の数々に不安クリエイターの才能アリなのでは?と唸ってしまう。

(カフェに着いたら知らない人がもう1人いるかもしれない)
(2人とも水を持参していて、私の席には未開封のペットボトルが置かれている。)
(え、この人だれですかという質問を遮られ水トークが始まる)
(1本2000円の水)
(「カフェが満席だったので場所を変更します」と直前にメールが来てビルの一室で話すことになるかもしれない)
(子育て中の40手前の主婦が1番ちょろい)
(段ボールを抱えて帰宅する私)

なんて、10代も終わりを迎える頃に読み漁ったウシジマ君界隈のブラック知識がどんどこ記憶の底から蘇ってきて眠れなかった。カフェに入った瞬間にペットボトルが見えた場合の対応をどうしようかと考えているうちに朝が来た。

まぁ実際には21時に布団に入り、0時と3時にトイレで目が覚めて、合間合間に水のことを考えているうちにやっぱり寝ていて6時に起きたのだが。

朝、水への不安は消えていた。

私が水を売られるわけがないと。
あの人が水を売るわけがないと。

人間は自分の直感や自分の決めたことを信じたいから、確証がなくともこんな風に悪いことは見て見ぬふりをしたり消し去ろうとするんだろうな。そして太陽の力はすごいな。めちゃ前向きな思考にさせるんだな。ウシジマ君のウの字も出てこなかった。人はこうして騙されるのだろうか。私はこうして水を買いに行くのだろうか。シナリオ通りである。

結局水は売られなかった。
それどころかとてもあたたかい1時間になった。
チャイみたいな時間だったしチャイみたいな人だった。

私は嬉しい話をするとすぐに泣きそうになるので、とある話をしている時にぐいっと涙をこらえるのに必死だった。おかげでぺちゃくちゃ喋り続けてしまい、もう少し物静かに装いたかったなー、装えたよなーと、なんとなく反省。

2023年はつくづく出会いに恵まれた1年だったと思う。泣きそう。サンキュー。

▶︎次回のぶぶぶバザールは2023年3月2日(土)に
あまがさきキューズモールで開催。
とても楽しいイベントなのでぜひいらしてください。スパイスたっぷりのすてきな方にも会えますよ。

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