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『泣いてちゃごはんに遅れるよ』〜磨き抜かれた文章への羨望〜

小説よりも、エッセイを読むことが好きだ(小説が苦手という意味ではない)。

今よりずっとたっぷり時間があった大学生時代も、長編小説などではなく、様々な作家やエッセイストのエッセイを読んだ。なぜ、こんなにエッセイばかり読んでしまうのだろう?とちょっと考え込んだほど。

きっと、誰かの生き様、考え、想いにふれて、「自分はどう生きるか」を考えていたのだと思う。

それは、大学時代だけじゃなく、これまでずっとそうだ。好きな作家のエッセイから、自分の生き方へと想いを馳せてきた。

最近はそれほどエッセイを読めていなかったのだけど、ほんの1ヶ月ほど前、久しぶりに素晴らしいエッセイに出会うことができた。

『泣いてちゃごはんに遅れるよ』寿木けい著 幻冬舎

この本に出会ったきっかけは、ライターのさとゆみさんが対談イベントに登壇され、その対談相手だったのが寿木けいさんだったことから。その時、私は初めて、寿木さんが料理家であり、エッセイストでもあると知った。

もともと、Twitterで寿木けいさんをフォローしていたので名前は存じ上げていた。寿木さんがアップされる料理がなんとも滋味あふれるしみじみしたもので、好みの料理家さんだと思い、フォローしていたのだ。

さとゆみさんとの対談で、エッセイストでもあるんだ!と改めて知り、本書を取り寄せた。

エッセイストであり、料理家であり、会社員であり、妻であり母である、寿木けいさんの日々が綴られている。

読み進めていくうちに、これは簡単にサクサクと呼んではいけない類の文章だと感じた。

「重い」「読みにくい」というのではない。

言葉の一つひとつが選び抜かれ、文章が緻密な構造をとっており、一つひとつのエッセイの結びが見事に着地する。

私はこんなにきれいな文章を知らない。

だから、簡単に読み終わっちゃいけないと思ってしまった。

淡々とした筆致の中ににじむ一生懸命な日々。洗練された文章に込められた悩みぶつかる人生。

さとゆみさんが、「向田邦子の再来とも言われる」「芳醇な文章を書く」とある対談で話していらしたのにも納得。

磨き抜かれた言葉選びと巧みな文章構造は、寿木さんご自身の豊富な読書歴や言葉と関わる職業を続けておられることに由来するのだろう。

まだじつは全部読み終わっていない。あと少しなのだけど。そこには「簡単に読み終えてはいけない、じっくり読みなさい」という自分への戒めと、「こんな文章が書きたい。じっくり読んで勉強したい」という羨望がある。2つの想いに挟まれている最中だ。一応、私も文章を職業にしているから。

内容として、ここまで読んだ中で心に残っているのは「終戦記念日のシュプレヒコール」「ブラックアンドホワイト」…。う〜ん。どれも面白かったから、選べない。でも本の帯にあった「一生懸命に生きているのは、みんな同じじゃないですか」という言葉がすごく気になっていたけれど、そうか、ここで言ってるのか!という箇所を見つけて、なるほどなとなった。

興味がある方は本書を読んで、ぜひ、見つけてみてほしい。

ちなみに、寿木さんのエッセイは淡々とした感じなのだけど、公式サイトのご本人の日記はもうすこし柔らかくてまた違う空気が流れていて、こちらも素敵です。

そうそう。先ほど「向田邦子の再来」と書いたけれど、偶然にも以前、向田邦子の「父の詫び状」について書いていた。

このときも、向田さんの文章の構造と着地点に驚いていたんだった。
この記事はちょうど1年前のもの。どうやら春って、エッセイが読みたくなる季節らしい。


ありがとうございます。