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キレイゴトで語れない民族の姿にカルチャーショック! 上橋菜穂子「隣のアボリジニ」

上橋菜穂子といえば、「精霊の守り人」「獣の奏者」、今年映画公開予定だったはずの「鹿の王」…ファンタジー作品が、どれもドえらい面白いのですが、今回オススメしたいのは、文化人類学者としての一冊「隣のアボリジニ」です。

アボリジニーのステレオタイプとギャップ

まず最初に本書を読んで驚いたのは序章…、筆者がオーストラリアでタクシーに乗車中、運転手さんがこう言ったことです。

「おれたち白人は、アボリジニにすまないことをしたと思ってるよ。植民地にした時に、ひと思いに皆殺しにしといてやれば、いま、あんなふうに苦しむこともなかったろうと思ってね」(一部抜粋)

なんちゅーこと言ってるんだ!と思いますが、完読後 改めて読むと、このジョークに込められたオーストラリア人の思いと歴史、そして国全体が抱える問題を含んだ、不謹慎ながらも奥深い一言であることを思い知らされます。

というのも…現在多くのアボリジニは街で暮らしており、労働せずとも年金や生活費が国から支給されています。このお金は税金で賄われており、それにも関わらず、ニートの飲んだくれがドラッグを吸って街で暴れまわる…というような、かなり自堕落な生活をしているアボリジニが相当数いることが一因として挙げられています。アボリジニと一言で言っても、私達が思い浮かべるような「自然と共に生きる」ような生活様式を保つアボリジニというのは少数派のようで、「いわゆるまっとうな社会的暮らしをしている白人」からすると、ロクでも無いアボリジニもいる、と感じてしまう気持ちも、想像に難くないのです。

しかし、「いわゆるまっとうな社会的暮らし」とはなんなのでしょう?本書を読んでいくと、そういった根本的な疑問にも気づかせてくれます。多民族国家のあるべき形作りがいかに難しいかが、じわじわと理解できます。

上橋さんのファンタジー作品は、登場人物・民族・国家が、絶妙な均衡を保ちながら物語が進んでいきます。本書はオーストラリアの事実をまとめたノンフィクションですが、単純な善悪で裁くことができないところや、欠点や歴史や優しさが ごちゃごちゃと混ざり合う様相は、現実世界の話ながら とてもドラマチックであると言えます。

文化人類学者としての慎重で丁寧な姿勢

文化人類学者という仕事の難しさ、面白さについても折々解説があるので、そういった分野に興味がある人にもオススメできます。

文化を調べる仕事ですから、当然現地調査も行う…というところまでは想像がつくのですが、

研究者が現地に入った瞬間、否応無しに、観察対象に変化をおこしてしまいます。(抜粋)

という解説にはハッとさせられました。物理学でも「観察という行為自体が現象に影響を及ぼす(観察者効果)」というのがありますが、現地調査も同じですね。故に調査は慎重に行おうという姿勢はビンビンに伝わってきますし、筆者の言葉選びが随所で丁寧であることの理由がよくわかった気がしました。

だれかの肖像を描く作業は、自分の目が見ているものを、なぜ、そう見えているのかと疑ってみる必要のある作業です。(抜粋)

わー、この言葉、まさしくアートやデザインの世界と同じ! え?アートの話じゃないのこれ?っていうくらい、本当にそのとおりだと思います。これはアボリジニを始め、特定の誰かや民族を捉えようとするとき、自分が「こう見たい、こうであってほしい」というフィルターを外すことを説いた一文です。文化人類学だけでなく、アートでも、モチーフと向き合う時はこの問いかけが非常に大事です。

多民族国家の向かうべき方向性

本書は現地調査のまとめが中心ですが、当然ながら、オーストラリアがたどってきた歴史についても、解りやすく簡潔にまとめられています。

読み終えた後に私が思ったのは…人の営みの、なんとうまくいかないことか、という悲しさと、それでも人と人がお互いの幸せを願って、どうにかしようとする健気さ、でしょうか。

「人類って、現代社会って、なんて冷たくて残酷なんだ」という話がよくありますが、私は現代社会の…というか、現代人の人たちは、昔よりも優しく賢く進化していってると思うのです。そう思い込みたい、というほうが正確かもしれません(※1)。オーストラリアに住むアボリジニも白人も、みんなのアイデンティティを自然に保つためには、当人たちですら捉えきれていない「問題」を理解するところから始めなければなりません。これはオーストラリアに限らず、どの国・どの組織でも同様です。問題を把握できずに、解決することは到底できません。つまり逆説的なようですが、問題を理解しようという行為は、もうそれ自体が、人類や社会が、優しくて前向きであることのように思うのです。こういう姿勢を維持し続けることを肯定され、応援された気持ちにさせてくれました。

本書は、オーストラリアという国が抱える社会的問題を真正面から見つめ、複雑な国民感情を多面的にとらえてまとめられた一冊です。オーストラリアにさほど興味がない人でも、上橋作品が好き!という方なら絶対楽しめるオススメの一冊です。


※1「人類はどんどん平和になっている」という説は、学問的にはスティーブン・ピンカー「暴力の人類史」で証明されています。興味がある方は下記著書をどうぞ! ただし、私はこれを根拠に平和になっていっている、ということを主張したいわけではありませんのであしからず。


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