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梟と短剣【ショートショート】

かつてこの国の外れには、梟の森とよばれる場所があった。

そこは、木々が鬱蒼と茂り昼でも暗くひんやりとしていた。
夜になると、梟の声があちこちから響き、立ち寄る人はほとんどいなかった。

ただ、例外として、5人の男がいた。

男たちはみな、他国からやってきた。自分の本当の名は知らず、これまた名も知らぬ雇主から命を受け、この国の情報を集め、雇主に送ることを仕事としていた。二つの国の関係は薄氷のように冷たく緊張したものであったから、男たちのような者が互いに送り込まれ、情報を集めていた。

男たちは普段は周辺の村々に紛れ、それぞれ普通の暮らしを送っていたが、新月の夜にはそっと森に集まり、使命を受け取り、情報を交換し、そして、鍛錬のために互いに闘いあった。
男たちは、敏捷に、音を立てずに移動し、闘う技術を持っていた。それは、状況によっては人を殺めなければいけない「仕事」上の要請によるものであった。

仕事をする時は覆面をつけ、そこから目だけをらんと見開いていた。そうすることで、闇の中でも物を見ることができた。

身軽であることを身上としていたので、彼らの武器は懐の短剣一つであり、それ一つであらゆる仕事をこなせることは男たちのひそやかな誇りでもあった。

彼らはいわば一つの集団であったが、互いのことを仲間だと思ったことはなかった。ただ情報源として、本気の鍛錬ができる得難い相手としてのみ互いを利用しあっていた。


このような殺伐とした日々はしかし、さほど長く続かなかった。緊張や小競り合いに疲れた両国は、次第に関係改善に向けて進んでいった。断絶していた交渉が始まり、要人の行き来も始まった。非公認ながら交易を行うものも見られ始めた。

男たちのような者が果たすべき役割は次第に減り、雇い主からの連絡も間隔が空くようになった。
男たちは、それぞれの村で過ごす時間が長くなった。 

元々、村での生活は、彼らにとっては隠れ蓑に過ぎなかったのだが、次第にそれが自分の暮らしそのものになっていった。怪しまれないために築いたかりそめの友人関係を、心地よいものと感じるようにもなっていった。

同時に、懐の短剣がひどく場違いで、冷たく重たいものに思われるようになっていった。

そうした時間がしばらく過ぎたころ、男たちは、初めて雇い主からの求めと関係なく、森に集まった。雇い主からの連絡は、その頃にはもうぷっつりと途絶えていたから、男たちが会うのは久々のことだった。

「もう、いいのではないか」
一人が口を開いた。他の四人が短剣を取り出した。仲間を抜けようとしたものは口を封じられる掟であったから、言った男は目を閉じて、運命を受け入れる姿勢をとった。
しかしその短剣は男に向けられることはなく、そのまま地面に突き立てられた。
「よく言ってくれた」そういう意思が誰の目からも感じられた。

別の男が言った。
「俺たちは技を磨きに磨いた結果、今までだれも手にかけることなく仕事をすることができた。だから、まだ戻れるのではないか、人間に。」

男たちはもちろん元々人間であったが、この言葉を誤解するものはいなかった。昼は本性を眠らせ、夜になると闇のなかで目的のためだけに動くのは、この時代人間というより、獣や猛禽に近いことであった。まして獲物の血の味を覚えてしまえば、もう戻ることは難しい。しかし、今ならなんとか、真っ当に太陽の下を歩く身に戻れるかもしれない。

「そうだな、人間に。」
最初に口を開いた男も、短剣を出して土に差した。


「それではな」
「ああ、それでは」

しばらくの沈黙ののち、出てきた言葉はこれだけであった。
元気で、という間柄ではないし、これからのことについての言葉は誰も思いつかなかった。男たちは他の生き方を知らなかったし、これからの日々がどうなるかを見通す技術は持っていなかった。


男たちは、短剣を中心に、五つの方向に歩き出した。
足音はしなかった。
森では梟たちが、心なしかいつもよりさかんに鳴いていた。


のちにこの森に迷い込んだ者が、この短剣を見つけることになるが、それは遥かな後年のことである。そのとき短剣が何本であったかも、伝わってはいない。

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