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3月11日 浜通り地方に行ってきた

ことしの3月11日は土曜日でした。

前の週くらいから、国道6号線方面へ、また行ってみたいと思っていました。

最初は、かねてから訪れてみたかった、南相馬市小高区の「フルハウス」を目的地にするつもりでしたが、10日と11日(そして日曜)は休業ということでした。
特別な、あまりにかなしい記念日みたいな日、
どういう思いでどう一日を過ごすとしても、それについていかなる他人からも介入されるいわれはどなたにもないはずなので、また改めてふつうの日に訪問することにして、目的地を変更。
南相馬周辺でよさそうな喫茶店ないかなあ…とググってましたら
原ノ町駅のすぐ近くに「珈琲亭いこい」という純喫茶があることを知りました。

かねてからわたくしがたった一人で編集発行しているフリーペーパーに「おしゃま画報」というのがあり、創刊号以来8年ぶりに「旅と珈琲」特集をやろうと思うまでにたいした時間はかかりませんでした。

3月の風にふるえながら

もちろん、旅の相棒はいつもの原付二種です。
これもいつものカメラバッグには、コンタックスTを入れて、朝7時前に仙台の拙宅を出発。
日中の最高気温をあてにして、寒けりゃレインスーツ羽織ればいいやと(風をさえぎるので一時しのぎにはなります)思ってましたが…
6号線方面へ入るより前に、3月上旬の東北の現実を身に染みて感じました。
甘かった…まだ冬装備で来るべきだった…
そう2011年のこの日、あるいて帰宅する途中で雪が降ってきて泣きたくなったのを思い出します。

それでも陽の光りを唯一頼りにして、ナビアプリの案内を耳で聞きながら(あいほんはポケットの中)、6号よりさらに海側の、相馬亘理線を南下します。
途中、山元町の震災遺構 中浜小学校が視界に入り近くまで行きましたが、まだ早朝でしたので入れるわけもなく、その時はここでなにがあったのか知らなかったのですが…

ここの子どもたちは助かったのだとあとで知り、うまく言えないのですが、この文章を書いていても目がうるんできてしまいます。

こういう情報も含めて、当日になにが起こっていたのかは俯瞰的な報道がでるまで、わたしは知りませんでした。停電していて、たといTVがあったとしてもみることはかなわず、当時とっていた全国紙も来ないし(仙台の印刷工場も壊滅的被害だったらしい)、お店だって開いていない状況でした。

それが8年後には、浜通り地方へコーヒーをのみに行こうと写真撮りながらひた走っていたわけです。
昨年3月の大きな余震で通れなくなっていた、松川浦大橋の先が冬の間に開通していたときいて、そうだ浜通り行こうと思ったのではありますが。
悲壮感よりは旅の期待感のほうが強かった、そこは素直に認めなくてはいけない。

昨年夏にも通った釣師浜から松川浦へと向かう道中に撮ったのですが、あいかわらずレベルがでてない。水平線が傾いでいる…(泣)
2枚目は、Tのフラップをフード代わりにすべく、上下逆さまにして撮影しましたが、周辺減光みたいな効果が出てますね。
うまくいったのか、よくわからない。

そして松川浦大橋をわたって、鵜の尾岬トンネルを抜けると、左手に太平洋、右手に松川浦を望む道がまっすぐに伸びている。
絶景と言ってもいいと思いました。
この時点で完全に浮かれていたと回想する次第。

岬の灯台が写ってないなあ…ブツブツ…

大洲海岸へと中洲の道を渡りおえて、そのまま海岸線に近い道を南へ。
ルート設定ミスでしつこく松川浦大橋へ戻れと誘導するナビを停止すべく停車した地点でまたTを取り出す。
竹林がいい雰囲気。

その先、南海老という地区まで進むと、視界がひらけると共に、風力発電の巨大な風車が目のまえにあらわれました。
実際この辺も海からの風が強く、発電には好適な環境であるのだろうと思ったり。

そして「いこい」で珈琲をいただく

そうして相馬市から南相馬市へと走っていきます。
相馬からのバス(福島交通)が皆無なのを以前調べていて怪訝に思った南相馬市は、いわきの新常磐交通のバスが走っていて、ちょうど市境がエリアの境界でもあったことを初めて知ります。

それで 原町区の「いこい」に到着しました。
仙台から朝食とか寄り道とか休憩とか含めて2時間半くらいかかりました。
お店は8時から営業しているそうです! 開店時間が早い!
1970年から営業しているということです。
古いけれどよく手入れされた店内。
常連客と思しき老人たちが立ち寄っては他愛のない話をマスターと交わして、コーヒー一杯ひっかけてはまたふらっとどこかへ行ってしまう。
もちろん若いお客もいる。
そんな飾らない街の喫茶店でした。

以下3枚ともiPhoneで撮影

ところで。
Tでも写していたのですが、画像回転できなくなっていてアップできない。
縦位置写真、今回まったくないのに気づきましたか?
もとはと言えば、中古BTOパソコンのWindowsがまたもやクラッシュして起動しないのです(画像データは無事みたいだけど)。
その代打で再び出番がきたノートPCで、読み取り専用の属性を何度変更しても回転ほかの操作ができないというトラブル発生。
1時間かけてユーザフォルダのファイルぜんぶ属性変えたにもかかわらず。
なのでかわりにあいほんで写したもので一部お茶を濁します。
閑話休題。

小高区へ足をのばす

お店をあとにして、とりあえず6号沿いの「道の駅南相馬」まで出てきたものの、用を思い出して街なかの郵便局と銀行へナビ頼りに戻ると、青い案内標識に「小高」とあるのを見つけて、この道を…陸前浜街道というらしい…南へ下って行ってみようと。


原町区で
こちらも

ゆるいアップダウンがつづく低い丘陵地帯をしばらく走り、小高駅への案内をたよりに街なかへ入っていきます。
ちょうど仙台在住のある知人の出身地が、この小高だときいていましたので、初めてきたのにふしぎと親しみがわいてきます。

街の東端が、常磐線の小高駅。

オールドスタイルの跨線橋がなんともいい。
無人化されてしまって券売機もない駅ですが、駅舎も昔のままなのでしょうね。
普通列車は上りも下りもだいぶ先の時間で、特急なんかもいつ来るのか知るよしもないし撮る気もしないから、これで満足して国道へと向かい、ぐるっとまわったかたちでさきほどの道の駅の近くまで戻り給油。
また松川浦大橋を南側から渡って、あとはひたすら6号線を帰ったのですが、小高から磐城太田附近、けっこう内陸部を走っていても、平地だからか例の「ここから(ここまで)過去の津波浸水区間」標識が交互に現れるのが目の端に映って、後々まで気になっていました。

おわりに

帰宅するなり「画報」の編集をはじめ、いつしか深夜の2時3時…
明るくなってからプリンタで印刷かけて、午後には仙台市内2か所へ配本に行きました。がっ 夕方また帰ってからダウン。
翌朝まで12時間爆睡してましたとさ。
徹夜したのが土曜日の晩でよかったね…まあ出勤前日にあんな無茶はしませんけどね。




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