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2023/3/28:椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常

椎名林檎さんのライブを観にいきました。

林檎さんの好きなところは、わたしの好きな小説家さんたちにも共通している気がしていて、パフォーマンスのずっとずっと奥に、誰にも伝わらない本人の領域を隠し持っていることです。それを暗になのか明らかになのか、示しているところ。

それは人前に出る仕事に限らず、すべてのひとがそうなのかもしれません。けれど、それを強く意識して生きざるを得ないひとというのは限られていて、自分の言葉や、シラフでも出続ける幻のドパミンみたいなものの美しさ、それが伝わらない人生は苦しい。どうして伝わらないのかが悲しい。わたしだけがそのことで悲しんでいるように思えてしまう。その苦しさがありつつも、だからこそ1人で過ごす時間はたのしい。爆発した一瞬の記憶を抱えていれば、その孤独をなぜかやり過ごせてしまう。それに、そんなことはわたしの頭のなかで起こっているだけのことだから…だから、ほんとうの祈りはベッドのうえ、夢のなかだけでじゅうぶんなんだ。

そのベッドのうえの時間や、夢のなかの時間がなければ、ひとの孤独というものはダメになってしまう。あなただけが守られていい場所は、あるのに。夜、しずかで、深くて、あなたしかあなたの味方をできない場所が…それは悲しいことではない。大丈夫だ。

ライブの後半で、林檎さんがパジャマのような衣装になり、夜中に自分の部屋でひとりきりで歌っている姿を思わせるような演出がありました。そのときに歌っていらしたのがバングルズの「eternal flame」
林檎さんの、詩的で文学的な歌詞とは雰囲気のすこしちがう、率直な言葉。それを枕を抱きしめながら歌う林檎さんの姿は、あまりにも切実でした。

わたしはいま恋をしていないけれど、椎名林檎さんから感じたその切実さは、とっくに過ぎ去った恋人への愛情を、わたしのなかから掘り起こすほどでした。映画や小説でも蘇らなかった「恋をしているときの記憶」は、おどろくほど自然にわたしの手元へ戻ってきた。椎名林檎さんのことを、ほんとうにすごい人だなと思いました。

恋人がすぐ近くにいるのに、あなたがいなくなることが分かってしまって悲しい。もしいなくなってしまったら、その悲しさすら過去になってしまうのだろうか?ずっとそこにあってほしい。触れれば消えてしまいそうに、弱々しい炎がふたりのあいだに燃えているね。けれど、その弱々しさは、わたしには関係ないのよ。いま、燃えているのだから。いま燃えていること、その前後には文字どおり何も無いんだわ。それすら勘違いかもしれなくて、いつもの時間軸にだって戻っちゃうけど……それなら、勘違いも悪くないね。

「eternal flame」を歌い終えた林檎さんは、パジャマではない、おめかし風の衣装に変わって「いろはにほへと」を歌い始める。労働者で生活者の、茶目っ気のある椎名林檎さんになる。

夜中ひとりきりで「eternal flame」を歌う時間は、ライブの折り返し地点のようだった。それは底なのか、頂点なのか、いちばん遠いのか、いちばん近いのか……分からない。もしかしたらぜんぶなのかもしれない。きっとどれでもよくて、それぞれ違った幸福や不幸を孕むのだろう。

エネルギーは止まることを知らず、頭のほうが先に覚醒しながら、それでも身体も着いていくのだというように、演奏は進む。緑酒、NIPPON……みんなが体内に湛えた水分が照明になって、光って、奇跡を起こしているようだった。

音の割れたギターのノイズがボリュームを上げながら会場を埋めつくし、急に止まり、公演は終了する。終幕はいつだって容赦なく、突然だ。終わっていくものは、それもまた良し。しかし、なるべく空間いっぱいに手を伸ばして掴み取り、抵抗したい。言葉や詩がとめどなく溢れてしまい本屋に本が増え続けるように。空間がもったいないけど言葉じゃ足りないから音符に変えてしまうピアニストみたいに。そんな、本気かつ諦めのきいた抵抗。ギターのノイズはボリュームを上げ続け、ライブに集った1日かぎりのわたしたちをいっぱいに包み、破裂した。


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