好きのための嫌い
年々お酒を好きになっている。
とはいってもそんなにたくさん飲めるわけではないので「弱いけど味が好きなんです」ということにしている。が、その実理由はそれだけではない。
20歳の頃、ウイスキーはハイボールにしても病院の味がすると思っていたし、アサヒスーパードライしか飲まない父の影響からビールは全てスーパードライの味なのだと思っていた。結果、たどり着いたのが梅酒だ。梅酒しか飲まなかった。
今は、米焼酎白岳しろのソーダ割を筆頭に、ハイボールなら白州、ビールは白穂乃果が好きだ。大衆居酒屋では基本的にレモンサワーを飲む。できればキンミヤのソーダ割に生レモン果汁を絞ったものがいい。
ワインは飲みやすいかどうかしか分からないしすぐ酔っ払うからあまり飲まない。焼酎もロックで飲めたらきっとかっこいいんだろうし、日本酒界隈は想像するだけで沼が深そうだ。
今好きなのはこれ!というものを挙げたが、あくまでこの先60年くらいは続くであろう人生において暫定のお気に入りたちだ。ここに着地するまでは数年あったように思う。
改めて、わたしは年々お酒を好きになっている。ここに至るまでの過程を含めて、好きなのだ。
意味分かんないよね。わかりゅ。
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先日好きな人に「自分の好みを知るためには、好きと嫌いを積むことが重要だと思う」というのを唐突に演説した。わたしはいつだって思い浮かんだことをいきなり発してしまうし、いきなり動いてしまう。(もちろんそれが許される人許される場に限る)。
その人は「君はいつもおセンチだね」とわたしをなだめた上で「でも素敵だね、素晴らしいね」と言ってくれた。ね、許されてるでしょ。
メニュー表で見る知らないお酒の名前にワクワクするようになった。
これ好きかもしれないな、と思えるようになったのは間違いなく過去の積み重ねがあるからだ。
見たことも聞いたこともないものに遭遇して、さらにそれを好きだと思えたら!なんて素晴らしいんだ!と思う。
大人になるにつれ好きだとか良いとか思えるものに出会う機会というのは段々と減っていってしまう気がしていて、意図して積もうと思わなければ、極少範囲の安全地帯から世界は広がらないのだろう。
お気に入りを見つけてそれを永遠に繰り返す人もいるのだろうけれど、わたしはお気に入りをどんどん増やすべく、知らないことを知りたい。
わたしの人生はお気に入りと出会う旅だ。
周りのもの全て、お気に入りで埋め尽くしたい。
わたしはヒトが好きだ。お酒を好きな理由とヒトを好きな理由は少し重なっている。
知らない人と関わること、新しい出会いはわたしのお気に入りを探す旅の手助けをしてくれる。
そう考えると、別に苦手な人が現れたってまるっとそのまま悪ってわけでもない。
これからも、好きに出会うために積もうね。
おおすかちゃんを!あなたの力で!生かしてたもれ!✌︎