娘から見た父という人生、父がくれたもの
今日は父が亡くなってから初めての父の日でした。
そんなことはすっかり忘れ、朝から息子とスーパーに行き、冬物セーターの洗濯にとりかかったところでラジオが父の日だと教えてくれた。
我が家は昔から、感傷に浸る暇があれば目の前の仕事を済ませよう!涙は何も解決しないぜ!という家風なので、だからどういうというわけではない。
母に、「そういえば父の日だったね」といったら「あ、そうだっけ?ふーん。」
毎日スーパーのみたらし団子やらミスドのオールドファッションやら(慎ましい父はそういう安物スイーツが好きだった)をいそいそと供えている母なので、気持ちがないわけではない。けれど、世の中が父の日だからとかは気にならない。そういう母だし、その娘だ。
ただ、なんとなく、父のことを自分なりに残しておきたくなってしまったので書きます。
父の人生(娘視点)
父は、戦後直後生まれ、5人兄弟の末っ子だった。自分の父親には会ったことがないと言っていた。というか、あまりその点については話さなかった。
亡くなった後に叔父たちに聞いたことや、母が取り寄せたいくつにも別れた戸籍謄本(凍結された銀行口座をあけるために必要だったのだ。面倒極まりない。)をみると、どうやら戦後によくあった、複雑な血縁関係だったようだ。
女手一つで育てられた5人兄弟の末っ子なわけなので、経済的な難しさは多分にあったと聞いている。とはいえ、末っ子であるがゆえに可愛がられ、大学まで奨学金を使いながらなんとか卒業。世界に憧れ、ヨーロッパを皿洗いをしながら放浪したり、ツアーガイドのようなこともやっていたらしい。
私が生まれた頃にはすでに2職目だか3職目で、創業社長の大きくはないメーカー会社に勤めていた。その会社がバブルに乗って成長し、アメリカにも工場を持った。父が現地に派遣されたのに伴い、私が4歳から9歳の頃は家族でアメリカに住んでいた。振り返るとあの頃が一番一緒にいた気がする。
バブル崩壊後、日本に戻って何回か転職をした後、最後は日系企業が買収したフランスやロンドンの小会社の立て直しを現地社長としてやっていた。ちなみにフランス語は一ミリもしゃべれない。未だにどうやって仕事をしていたかは謎である。
仕事大好き男で、仕事以外には家族が趣味だった。服やモノに興味もなく、受け継いだ遺産は大量の書籍と僅かなお金のみだった(稼いだ大部分は娘たちの学費と家族旅行に使ってしまったに違いない)。
娘ラブすぎる男
父は母から、「外で絶対にまりちゃんやゆりちゃん(私と妹)について話すな」と釘を差されていた。一度話し始めたら最後、娘自慢が永遠に続いてしまい、相手が苦笑いするしかなくなるからであった。
お葬式で話をしてくれた、父の元部下によれば「お酒が入るとまりちゃんゆりちゃんで本当にすごかったんだから・・」とのこと。母の釘刺しは全く効果がなかったようだ。
実際父は私が小さい頃から「まりちゃんは大きくなったらミス・ハーバードになる(そんなものは無いし、ありえない。今思い出しても恥ずかしすぎる勘違いだ。)」とか、「世界を股にかけて活躍する女性になる」とか、「まりちゃんと結婚できる男は幸せだ」とか本当に恥ずかしげもなく言っていた。
反面、中学受験をしていた頃に「勉強できれば何でも許されると思うな、人としてダメになるなら今すぐ辞めろ」とブチ切れられ勉強用具を捨てられたこともあった。原因が何だったか思い出せないし、今思えば結構理不尽な言いがかりだった気もするけれど、あれは鮮烈に覚えている。
私が何かで悩めば必ず難しい方を勧め、「絶対にできる」と根拠もなく言った。本当に根拠がないので、実際に苦労するのは私自身だったけれど。
世の中の女性像とのギャップに悩んだときも「そんな風に僕は育ててない、絶対に認めてくれる人が世界にいるはずだ」とまたもや根拠もなく励ましてくれた。そのときは既にステージ4の肝臓ガンだったわけで、最後まで責任をとってくれたわけでもなかったのだけれど、感謝している。
そんな父に育てられた娘
娘である私は、そんな父のせいでともかく根拠のない自信に満ち溢れ、ものすごくのびのび生きたまま36歳になった。
「お祭りで貰ってきた小さな金魚を大きな水槽で育ててたら、水槽に合わせて鯉のようにでかくなってしまった」という話を聞いたことがあるが、まさにそのとおり。
与えられた水槽がでかすぎて、どんどんでっかくなり、気持ち悪いくらい履歴書が強面の女になってしまった。実際の実績が大したものではない分余計に恥ずかしいし、人様に与える印象とのギャップに困ったなと思うこともある。
でも、じゃあ「普通の女の子」に育てられたほうがよかったのかという問に関しては、全力でNOという。
この自己肯定感があったからこそ、どんな時も無邪気に頑張ってこれたし、楽しく生きている。自分の能力を精一杯発揮できて、成果が出て、誰かに喜んでもらえる幸せはどんな人にでも素直にあるものだと思うから。
意外にファザコンだったんだなとここまで書いてきて気づいてしまいました笑。
最後の数日だけ、意識も朦朧とする父を家で介護した。大変すぎるのでふざけて「私ってめちゃくちゃ良い娘じゃない?」といったら「本当にそう思うよ」としみじみと言っていた。本当に娘ラブだな笑。
Love you Dad, and see you in a while!
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