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巨星が堕ちた【瓦氏夫人第41回】

 巨星が堕ちた

 陽明は、休む間もなく断藤峡(だんとうきょう)および八寨(はっさい)の賊徒討伐に着手した。
 断藤峡は梧州と南寧のちょうど中間あたりで、黔江(けんこう)が刻んだ深い渓谷であり、八寨は南寧の北東の山岳地帯に築かれた八つの砦で、いずれも賊徒が急峻な地形を利用して蟠踞(ばんきょ)しており、しばしば山を下りては村々を襲い、人を殺し、もしくはさらい、財物を掠奪した。

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 陽明は盧蘇(ろそ)・王受(おうじゅ)の乱に対したときと同様に、まず各方面から十分に情報を集め、その結果くだした判断は、盧蘇・王受の乱の場合とは真逆だった。
 武力討伐である。
 陽明は盧蘇、王受らに討伐軍に加わるよう命じた。
 精強で知られた狼兵の戦力を期待したということもあるが、田州、思恩のためでもあった。兵部(国防省)右侍郎(左右ふたりの次官のうちのひとり)や礼部(礼制祭祀を統括する中央官庁)右侍郎などが陽明の田州、思恩に対する措置は寛大に過ぎたと批判しており、陽明を更迭した上で盧蘇、王受らに改めて厳罰を与え、現地民による自治を剥奪する動きをみせていた。そこで盧蘇、王受に功を立てさせて中央の雑言を封じようというのである。
 陽明は三ヶ月もかからずに断藤峡、八寨を平定した。
 盧蘇、王受らは大いに奮戦した。陽明は両名の功を讃える上奏をおこない、兵部右侍郎らが起こした雑言の火は立ち消えた。

§

 夏が過ぎ、花蓮は陽明が軍務を終えてまもなく広西を離れると聞いて、南寧に向かった。
 応接の部屋に通され待っていると、まもなく現れた陽明は、ひどく咳き込み、歩くのもやっとという様子だった。
「病を理由に致士を請うているが未だに勅許をいただけなくてね。そこで勝手に南寧を離れて北上し、多少でもここより涼しいところで京師からの命を待つことにしたのだよ」
 そして陽明は不思議そうな顔をして、
「それにしても君はどうやってそれを知ることができたのだ。まだ私のまわりのごく一部の人間しか知らないはずなのに」
「寧王の乱においても、盧蘇・王受の乱においても、私は閣下から多くを学びましたが、そのひとつが情報を集めることがいかに大切かということです」
 花蓮の言った意味がつかめず陽明は首を傾げたが、はたと気づき、
「なんと。私のまわりに間諜がいるということか」
「いえいえ、そうではありません。ただ、ちょっと口が軽いひとはいるようですけどね」
 と、花蓮はクスリと笑った。
 西側の開け放たれた窓から差し込む夕陽が陽明の顔半分を照らしている。目は窪み、精気がない。体は以前に比べて一層痩せた。
 もう長くはないのだと予感し、悲しみのこみ上げてくる心を隠して笑顔をつくり、盧蘇・王受の乱での寛大な処置を改めて謝した。
「礼を言われるべきことではない。私はそれが田州、思恩の安寧や発展のために最もいい処置だと確信し、実行しただけだ。君や岑氏のことを慮ったわけではない」
 陽明ならばそう言うだろう。病身ながらもことばには変わらぬ強さがあると知り、不安な気持ちがわずかに晴れた。
「改土帰流が朝廷の辺境統治における基本政策であり、それに逆らうような今回の措置は、中央でのお立場を悪くするのではないですか」
「ああ。兵部侍郎らが『手ぬるい』と言って批判し騒いでいるようだ」
 と、陽明はひとごとのように言った。
「やはり、立場のことなど、まるで気にしてはおられないようですね」
 と、花蓮はほのかに笑った。
「今回の措置について、田州が府から州へと降格となったこと、不満であろうな」
「不満などあろうはずがありません。岑氏の田州土官の世襲が認められただけでも十分にありがたいことです」
「素直に不満だったと言えばよろしい。そのほうが君らしい。ただ、この処置は今後の努力次第で変わると思ってもよい。盧蘇が断藤峡、八寨の賊徒討伐に参加して功を立てたことで朝廷の田州に対する評価は改善した。さらに功を積み重ねてゆけば遠くない将来に田州の上に設置した田寧府が廃されることもあるだろう。岑猛には十分に斟酌されるべき事情があったことを私は知っているが、朝廷では、岑猛は天下を揺るがした大罪人と考えられている。その汚名をそそぐ努力を続ければいいのだ」
「はい」
 と花蓮は短く言ったが、今後の半生の道標と成り得る大事なことばとして受け取った。
 失われた猛と田州の名誉を回復する——
(それをやるのは私しかいない)
 と、心のなかで念じるように言った。
「田州からの推挙に基づき岑猛の後継は邦相とすることとしたが、君は邦彦の子の芝に継がせたかったのではなかったか?邦相を推すことに反対しなかったのか?」
「岑濬(しんしゅん)の乱のあと田州は短期間のうちに速やかに復興しましたが、あれはわが夫の強力な指導力があったがためです。この二年にわたる戦乱で再び田州は荒れ果て、以前の繁栄を取り戻すためには田州がひとつにまとまることこそ肝要であり、いま相続の争いを起こしてはなりません。ゆえに、土目の多数が推す邦相が継ぐのがいいと考えたのです」
「うむ。そうだな。それが賢明だったと思う」
 とはいえ、花蓮の心のなかには無念がある。邦相の資質は疑わしく、邦相に継がせたことが将来新たな擾乱を引き起こすのではないかとの悪い予感があるのだ。だがその無念をここで口に出してもどうなるものでもなく、花蓮は話題を変えたくなった。
「閣下が兵や民の血を一滴も流すことなく、各方面に不満や遺恨を残すこともなく、それもごく短期間のうちに乱を平定されたことに驚き、感服しました。私は、武をいかに巧みに用いるかがいくさだと思い込んでいました。しかし、武を用いないいくさもあるのだということを知りました。そして、武を用いないことこそが上策、武を用いることは下策であることを学びました」
「どちらが上策とか下策とか、そういう考え方はしていない」
「そうなのですか?」
「いくさや叛乱それぞれの状況や背景にあるものは必ず異なる。それらをよく調べ、個々に対応する最もいい対処法をみつけるのだ。どちらが上策でどちらが下策とあらかじめ定めてしまうと、むしろ思考に偏りができ、判断を誤ることになる」
「先入観にとらわれることなく、調べ上げたものを鏡のように磨いた心に映し、そこに映し出されたものを信じ、実行する。そういうことですね」
「そうだ。そのとおりだ」
 と、陽明は満足そうにうなずいた。そして花蓮の顔をじっとみて、
「去年の十一月に梧州で君の話を聞いたことには大きな意義があった。あの会話がなければ田州に対し武を用いていたかもしれない。その結果、執拗な抵抗に遭い、多くの人命を失いながらも未だに平定を成していなかっただろう。平定できたとしても、その後に別の乱が起こったに違いない。君は、田州の民も、天兵(皇帝の兵)も、そして私をも救ったと言うべきだろう」
「あまりにありがたいおことばです」
 花蓮は頬を紅く染め、はにかみながら頭を垂れた。
 
 陽明が南寧を発つのは八月二十七日である。
 東に進み、九月七日に広州に着いた。そこで京師から休暇療養を認める勅許がもたらされるのを待った。
 しかし勅許は届かず、一方で病は一層重くなる。一歩であっても故郷に近づきたいと思う陽明は、十一月初に広州を離れ北に向かった。
 しかし、嘉靖七(一五二八)年十一月二十九日、青龍(現江西省大余県)という小さな船着場で、五十七年の波乱に満ちた生涯を終える。
 中世に眩く輝いた巨星が、墜ちた。

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