私が、私である限り。
「私は何度、過去に戻って違う選択をして、違う生活をしても、私が私である限り、同じことで悩み苦しみ、そして喜び、幸せになるんだろうなと思う。」
友人から届いた、時をかける少女の背景画のポストカードに、友人の字で添えられていた言葉。
それを読んで、どうしてか、
涙が溢れていました。
「私が、私である限り---------」
4月の下旬から、大きな大きな悲しみの渦に巻き込まれていました。
高知行ったのも、そのほか神戸・大阪、そしてつい先日、2年3ヶ月ぶりに舞浜行ったのも、それきっかけかもしれない。
5月、6月と、完全に自分を見失っていたんだなと、思えたのは、久々に浦安の街を自分の足で歩いたからです。
20〜22歳、絶望的な気持ちで、いつだって、どこに至って、夢と現実の「はざま」にいた、私。
そんな自分が暮らした街は、覚えていたよりも、ずっと、優しかった。
「自分を、取り戻そう。」
悲しみに暮れて、泣いてばかりだった3ヶ月間。
「笑っていたい。」
「目の前の人に、喜んでほしい。目の前の人を、楽しませたい。」
そんな自分を、舞浜、浦安に行って、
取り戻すというか、
思い出せた、そんな気がするのです。
「私が、私である限りは、大丈夫。」
そう、思えたよ。
高専卒業して行った、沖縄一人旅。
1人で旅すること自体初めてで、あんまり楽しめなかった。
でもそんな自分が、自分なんです。
その時にいいな、、、って思った、絵葉書だよ。
たぶん、この絵葉書、買って、歩いてたら
風に吹かれてどっかいって、
空港かどこかで同じの買い直した!!
それくらい、なんか好き、だったの。
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