ちょっとしたチャンスとタイミングを逃さないこと。


今回の投稿は結構長くて、でもめちゃ大事なこと、
自身の経験を二つ。わりと魂込めて、書いた。


短期的にちょっと無理してでも、あの時、ああして良かったなあ、という経験がある。

パッと思い浮かぶのは、

①  2021年3月最後に友人に会いに行ったこと

②  2019年の夏、ちょっと背伸びして大人なヨーロッパへ1人、旅に出たこと。



①  2021年3月最後に友人に会いに行ったこと

これに関しては本当に、そう。彼女の住む新潟と自身が住む富山のちょうど中間地点となる直江津に。東京では桜が開花し始める3月の下旬、彼女に会いにいった。彼女のイメージカラーである紫に、自身が好きな青色を掛け合わせたドライフラワーのブーケを贈った。仕事柄、コロナ禍は県外で宿泊しないようにしていたため、その日も半日ほど一緒に過ごしただけではあったが、一緒に水族館へ行ってゆらゆらしたリフレクションに癒されたり、最近の諸々を話したり、彼女がまだ手紙---7年前に自身が渡したルーズリーフ---を大切に財布に入れて持ち歩いていることを知れたりしたのは本当に良かった

一年後の桜の花びらが舞い落ちる季節に、綺麗な水色のお花に囲まれ、ただ安らかに眠る彼女に再会するとは、まさか、思ってもいなかった。贈ったドライフラワーは、すごく気に入ってくれたみたいで、アパートの玄関にずっと飾ってくれていたらしい。そしてその、ルーズリーフ2枚分の手紙。その手紙が、亡くなった彼女のそばにも、置いてあったらしい。

振り返ってみて、あれが、あの直江津で会ったのが、最後になった。あの時本当に、会いに行って良かった。少し無理してでも、たとえ短時間でも。本当に、そう思った。ふたりのタイミングが少しでも合うのであれば、一緒にいられる時間が短くても、派手なことはしなくても。ちょっと距離が遠くても。

大切な人には、ちょっと無理をしてでも、会いに行こうと、思った。

彼女に会わなかった2021年4月〜の1年間、自身は何をしていたか。

2021年もコロナが明ける見込みはなかった。だからこそ、仕事に熱を注ごうと、勉強に気力と体力を割こうと、していた。極力県外には行こうとしなかった。コンスタントに週6勤務を継続して、3つの職場を掛け持ち、うち一つでは役職をいただき、精一杯、頑張らなきゃいけなかった。自分のキャリア、自分自身に集中しなくてはいけなかったので、友人に会う時間、恋人に会う時間、それらを積極的に作らないようにしていた部分も、ある。

そうして、役職をもらった初年度であった2021年度は、自分にプレッシャーをかけて、生きていた。

そんな1年を過ごしてみて、わかったことがある。私は、そのままでは、本当に大切にしたいもの、大切にしたいこと、大切にしたい人を、大切に出来ないまま、終わっていきそうだと。12月、彼氏と、別れた。それまでは仕事を頑張りたかったし、そのためには自分が頑張れば良いと思っていた。でも、ある時、知った。彼の心の想いを。その時、自分が今まで出くわしたことのなかった、大きな、大きな、疑問が自身に生まれた。

「私は、大切な身近な存在を傷つけてまで、目の前の仕事、頑張りたいですか?」

答えはNo.だと思った。でも今のスケジュールじゃ到底、無理だ。関わりをまずは減らさないといけない。それからというもの、仕事を一つ、辞めた。仕事をもう一つ、積極的に頑張るのを、辞めた。彼氏と別れて2ヶ月後の話だった。

これからは大切なものを大切にできる範囲内で過ごしたい。そのためなら今まで習慣的にやってきたことを辞めることや、関わりを減らすことだって、厭わない。

3月の第2週からは、コンスタントに週4勤務、多くて週5勤務。そんなペースで生きられるようになった。やっと、仕組みを整えられてきた。年に何度か、1週間から2週間程度の連休もある。これで、自分が本当に大切にしたいこと、に、時間や気力を割けるようになりそうだ。この1年結構頑張ったし、ちょっと、ゆっくり過ごしてみよう。そして役職が与えられて迎えた2度目の春。富山では葉桜に変わるころ彼女の受け入れ難い知らせが届いた。

もう、だめだなあ。

2021年はやっぱり、仕事、頑張りすぎたわ。
遅かった。遅かったよ。

私、仕事を減らしたり、関わりを減らしたりするの、
遅かった。


もう。少しづつ、でも大胆に、関わりを減らす中でも、

彼女は絶対的にこれからの私の人生において、関わりを持ち続けたいと思える人だった。

ああ。

こうやって。

大切な存在を大切に出来ぬまま、

終わっていくんだよ?

ああ。

仕事を優先して、大切なものを、一番失いたくない存在を、ないがしろにしてきたそれまでの自分。

26歳の私は、最低だと思った。

一番遭遇したくないことだった。受け入れたくない事実だった。一生かけてもあのレベルの存在に、もう出会えないだろう。唯一無二のかけがえの無い人だった。

それを受け入れるために、やりきれなさを消化させるために、GWは、彼女の住む街へ行き、乗っていた船に乗り、彼女の死に、身体ごとぶつかりに行った。それしかなかった。そうやって行動に移すことでしか、自分を肯定できなかったし、そうやって彼女が気力体力時間を捧げた職場や街を訪れること、彼女が暮らした部屋に足を踏み入れることでしか、本当の意味では彼女を感じられない気がした。

今更やっても、遅いんだよ。

それは常に思っていた。

思っていたより彼女が働いていた船は何倍も大きく、思っていたより男性ばかりの職場で、思っていたより彼女の住む街は都会で、思っていたより、彼女のことや彼女の仕事について知らなかった自身に、正直、拍子抜けした。

大切で絶対に失いたくなかった存在なのに、彼女について全然知らなかったことがたくさんあった。

彼女が船長になりたいと言っていた船についても、興味や、それを知ろうとする余白が、自分にはなかったのである。

がっかりだよなあ。そんな、自分自身に。

本当、だめだなあ。

彼女の過ごした場所で、新しい景色、新しい情報に触れるたび、そう、痛感した。

ミニマムに生きることは、絶対条件だと思う。
大切なものを大切にするために。

この件があってから、私は、大切な人にまず手紙を書いた。自分の想いを伝えた。

大切なひとのために、生きたい。とまではならないが、

自分の人生の時間と気力を要所要所で大切な人に捧げたい。

それは強く思う。

失ってからじゃ遅い。

良くも悪くも、今しか、ない。

どちらかが先に、居なくなってしまう。

後も先も、ないんだね。

つい最近気づいたのは、彼女はなんでも話せる親友であり、夢を追いかける同志であり、そして、自身の大ファンでもある、ということ。

いつだってどんな時だって自身を肯定し、励まし、応援してくれた。

良いところだけじゃなくて自分が気を抜いた時ですら、こんな自分でいいの?って時ですら、そんな自分を、好きでいてくれた。

最高って。独特な貴女のワールド、好きって。

あんなに私のこと好きな人、他に見つけられないと思う。

互いを彼氏、彼女にしたい〜って、
ふざけて、でも互いの本音で、よく言ってた。

だから、彼女なしでは、この世界を生きるのが、心もとないんだね。

彼女がいないことで、私は、随分と弱くなったんだね。

自分の軸足を取られる感覚、だったんだね。

②2019年の夏、ちょっと背伸びして大人なヨーロッパへ1人、旅に出たこと。


今となっては昔のことだが、というか海外に行くという選択をとれることが、極めて難しいような気がする今となってみては、あの時、自身の心が願った、「スイスへ行くこと」「南フランスの村へ行くこと」を叶えてあげたことは、大正解だったように思う。10日間、自分のためだけに、あんなに大金使ったのも初めてだったし、行ったことのない場所で8泊し、飛行機、電車、バスを駆使して自分の興味に沿い、「行きたい」と思った場所に自分を連れて行くという行為は自身が生きてきた中で自分による自分のための大きなプロジェクトだった。移動含めた10日間、たった1人で、自分のためのアクションを起こすというのは。

当時は当時で、金銭面を考えて、東南アジアあたり行ってみようかとかも思ったんだけどね。今となっては、あの時、ちゃんと心の声に従って、「本当に行きたいところに、行く、お金をかけてでも、どれだけ不安でも」ってのはやっぱり、大大大正解だった。

次っていつあるか、わかんないもんね。

次、安心して海外行けるの、いつなんだろうね。

あの時東南アジア行ってたら、それはそれで学びと新しい気づきは会っただろうけれども、

今もヨーロッパには行けずじまいだっただろう。

ずっと想いを馳せ続けることになっていただろう。

今も想いを馳せているのだけれども。

それはね、どうしてか。

前提として、行った時期は、前職を休職→退職→地元帰る→アルバイト始める→むしゃくしゃしてどうしようもなくて、てか前職辞めた時点で自分の「夢」とか「理想」を喪失してしまっていた。

次は何に希望を見出したらいいのか。それまで自分の物事の選択基準、軸となっていた「夢」をよくも悪くも見失っていた。

23歳、独身、富山住み、行先未来不確定の自身、自信もなく、自己への信頼も揺らいでいたあの頃、何が自分にとって本当の「理想」なのか。

そして「理想」は思い描くだけではなく、体感して初めて自分の気持ちがわかるということも、前職を通して痛いほどわかっていたから。

だからそれは、思い描いた「理想」を体感するための、一人旅だった。

そして当時、興味があったのが、スイスの自然風景と、南フランスの美しい村々だったのだ。

じゃあ、体感、しようよ。

ってことで遂行した旅だったのである。

ヨーロッパ滞在中、毎日毎日、思い描いた理想を体感して。

理想の地に気力とお金と時間を使って足を運んで。

それはもう、自分との対話でもあり、新しい発見もまたあり、新しい出会いもまたあり。

自分のためだけのプロジェクトは、

すっっっっっっっっっっっっっ
ごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく、

濃くて。

目の前の景色に夢中で、心、踊らせたよ。

美味しいものたくさん食べたよ。

たくさんの素敵な人に、出会えたよ。

たくさんの素敵な空間に身を置いたよ。

何よりもね、大好きな、自分自身に出会えたよ。

怖がりだけど、謙虚で、英語でコミュニケーション取ろうとして、笑顔な自分。

毎日ああいう感じの自分で生きるのが、本当のところ、自分の理想だって、気づいたよ。

面白いこととしてはね、自分が行きたかったところに行った時よりも、その目的地に行くために行く必要があった場所での、偶然の出会いとか、人々とのコミュニケーションとか、そっちの方が断然印象に残ってるってことなんだ。

特に、出会って間もないのに、心が通うようなコミュニケーションをとれた時、心がオープンな状態で互いがいられた時。

そういう時が、楽しくて幸せで、濃かった。

次に追いかけるならば、そういう幸せかなって。

目の前の人と心が通じ合える、そっちの方が自分にとっての幸せかなって。

理想の地に赴いたとしても、自分がそもそも守りに入っていたり、(スリが多かったりして)、人々とのコミュニケーションなく、自分が「疎外感」「孤独感」を感じようものならば、なんか、違うってなる。もちろん景色はすごかったりするんだけど。

誰かと私は共有したい、心の想いを自由に表現したい。そういうことがわかったよ。

自由に表現できない、誰とも繋がれない、内向的すぎる自分が外国でも顔をだすと、ちょっとしんどかった。

そういう自己分析を、できた。

やっぱりその後の人生にもちゃんと影響を及ぼす、なんなら自身の物事の選択基準になりうる。

2022年7月24日。理想を体感するヨーロッパ旅に出てちょうど3年経った。

あの時見出した理想に、今の自分は近づいているのか?って自分自身に問うた時、

答えは“NO.”な気がした。というか、
心の底から“YES.”と言えない自分が、いた。

コロナ禍思うようにいかないこともあったし、概念がそもそも覆ったし、確かに思い通りには進められていない。

けれども。今の自分のままじゃ、嫌だ。

今のままでは、自分は満足して、生きられそうに、ない。

さあ、本気で、追いかけに行こうよ。

自分がちゃんと、体感したことのある、「自分の理想」を。

↑って自分を奮い立たせることができるから。

今の自分を支えることができるから。

だから、2019年の夏、ちょっと背伸びして大人なヨーロッパへ1人、旅に出たことは大正解だった。

し、それを大大大正解に近づけて行くのは、その時の経験と知見を生かしてその旅の価値を何十倍にもの高めていくのは今の自分だし、そこには可能性も残されているから。

そして理想を現実のものにして、日常レベルで理想な状態を体感していけるのは、

きっと、未来の自分だから。

そうやって、自分のために、本気で動ける、お金も使える、1人女異国で旅する準備もできてしまった23歳の自分のこと、本当、大好きだし。覚悟も、度胸もあるじゃん?自分。

そんな自分がいてくれたから、私は、その時の自分に失礼のないように

ちゃんと理想の毎日を創り上げていきたいんだ。何よりも今の自分のために。

今だって、自分のために本気で自分と向き合って、動こうとしてるし。

そんな自分のこと、本当、大好きだわ。

じゃあ最後に、フランスの雑貨屋さんで購入した星の王子さまモチーフのノートに書いた、旅の振り返り、のうちの一部を書いて、この投稿を締めたい。

「大丈夫よ、大丈夫。どこででも、自分が理想の(周りにいい影響を与えている、少しでも)な自分である限り、どこででも、たぶん、良いストーリーの自分が主役になれるし。

結局どこいっても、自分らしさ、を忘れず、プラスの影響を与えられるっていうのは、それが理想だな。どんな形であれ。

どんな場所でも。そこまで世間体を気にする必要ないぞ。てか世間体が気にならなくなるんよ。自分の中で。

そしたらもっと共感得られるようなこととか、周りに応援されることが、できるようになるんじゃないかなあ。

周りがどう、じゃなく一緒にいる人がどう、じゃなく、周りの環境がどう、でなく、自分がどうであるか、自分が自分らしくあれるかどうか。

ちゃんと自分が自分であって、自分を表現できたら、そしてそれを受け入れられたら、なんか心通じ合えたら、それが嬉しいんやし、素直に周りのことを良いって思える。ははは、幸せだなあ。今が幸せって、心から思うなあ。」

「学生のころもかなり自己分析したつもりだけど、やぱ不安とか恐れ、「社会」で働くことに対するこわさがあって、自分のことわかっとるようでわかってないというか、足りないというか、ちゃんとしてないと社会で取り残されるようなこわさがあって。

ただ、2年半、頑張ったこととか、夜勤とか上司のこわさとか、給料の低さとか一人暮らしとか、うつっぽくなるまで頑張った、自分の夢の場所で頑張ったことは。それがあるから強気でおれるよ、いま。」

「7月の自分へ。

今はまだわからんが、この旅の価値は今後もっと高まっていくってことだけはわかるな。

そういうふうにしていきたいし。

今でいいって、お金ムダではないって、もっとムダじゃなかった、そのときでよかったって思えるように、どんどんこの旅で得たものを発揮して、経験をシェアして、周りもまきこんで、みんなで幸せな気持ちになりたいというか、なるから!絶対、そうさせたいから。

英語が話せることでみえる世界の提供を、自分が出せる空気感で、周りに笑顔を楽しさを、そして穏やかさや安心感を、そして、勢いを。

あと結局は「伝えたい」っていう気持ちが大事であることを、常に相手の気持ちや思いを、背景を、尊重したい。」

「60%の力で準備したって、その中でもイライラしたり時間使ったり、迷ったり、大丈夫、でもちゃんといって帰ってこられたし、みっちり考えても天候によってくずされることなんてあるある。

うん。だから力入れすぎんくて大丈夫だから。

頑張れん自分嫌とかいわんくていいから。そんときはそんときだって。そのときそのときで学べることは、あるから。

「気分は変わりました。

今後、この旅をきっかけにいろんなアクションを起こせたり、話題にできたりするはずです。

可能性を感じるよね?自分に。

もっと、良くなるから☆大丈夫だと!

このノート、かわいいいいいい〜〜〜〜〜〜。」


【ちょっとしたチャンスや、タイミングを逃さないこと】

これらは自分への励ましであり、だれかに読んでもらうことで、自分を奮い立たせる意味もあります。

読んでいただき、ありがとうございます。

想うだけじゃなく誰かに伝える、公言する。

そして、想ったことをちゃんと、体現する。

そういう人で、ありたいよ。

悶々と、ステイ富山極めてますが、これすらもチャンスとかタイミングだと思って、今、出し切れる全てを、着々と、出していくよ。

noteで繋がってる方本当にやさしいなあっていつも思ってます。わたしの心の支えにいつのまにかなってる。ありがとう。

ちょっとしたチャンスやタイミングを、逃さないこと。

わたしは、後悔のないように、生きるよ。

この記事が参加している募集

#私は私のここがすき

15,660件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?