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えも〜しょなるな夏が、はじまりそうな、予感。


 
現実と夢のはざま、理想と現実のはざま、
まだ起きていたいけど眠ってしまいそうな時の、はざま。

 
「はざま」にいるときって、

自分の本当の想いが、
自分の本当の気持ちが、

出やすいのかもしれません。
 

なんか、4月下旬から、

目の前で起こる現実を

日々過ぎ去っていく現実を、

掴めているようで掴めていない、

つまり自身の身体でなんとかついていこうとはするけど、

思考では理解できていない、本当のところ。

っていう、
そんな日々を4月下旬から過ごして、

もう6月が終わろうといています。
 


よくわからない関係、
あるいは全くもって新鮮な関係、
あるいは、
新鮮で且つ懐かしい関係が、、、

あれよ、あれよと、生まれています。

 
全くもって、よく、わからない。笑
 
 

自分で選んだ先の「今」と、
自分の意志に関係なく連続的に訪れる「今」。

その二つの種類の「今」のうち、
最近は後者の「今」が多くて、多くて。
 
よく、わからない気持ちになりました。
 

そのうえで、直近でいうと、自分で選んだように見える「今」も、少しばかりか増えてきています。
 
なんの話か、抽象的すぎて、よくわかりませんよね。
 
 
喪失感やどうしようもない孤独感を埋めるために人と関わる

というのは、

なんとなく、それらの感情を紛らわし、カバーしてくれるような気がするけれども、

ちゃんと、その喪失感や、孤独感に、ぶつかりにいく、向き合う、というのも、絶対に大事で。

私は、
「人と関わりたいのか、関わりたくないのか。」

「人と関わったほうがいいのか、関わらないほうがいいのか。」

そのあたりの問いというか、そういう気持ちが、
5月・6月、ずっと自身の中で浮遊しているのは、
たしかです。

 
そして関わったところで、深いレベルで共感するだなんて、無理。

仮に、自分をさらけ出せる(共感できる、できないは置いといて)自分を出せる相手を見つけたような気がしても、その存在を失うことが、こわい、になる。
 

じゃあ、やっぱり、
 
はじめから「関わることを、辞める。」
 
これがいいんじゃないか。

自身の心から不安要素を、なくすために。


そうなんじゃない?ってたどり着きます。
 

もう、これ以上、自身にとって、
ぶつかりにいくのがこわい現実なんて、ないはずなのに。

 
結局恐れて、怖がって。ずっと「狭間」に居たくて。
ずっと、「狭間」で生きているような、そんな気がしています。
 

それを踏まえたうえで、浮遊する自身をなんとか現実に引き戻すために、

①自分の今まで這い上がった経験やしんどかった日々、そのあたりを心の支えにして過ごしていこうか。
 
はたまた、

②何が本当で何を信じるべきかわからない中で、他人、自分に関わろうとしてくれる他人に身を任せたり、支えてもらったりして、過ごしていこうか。

→ただそれはとてもこわいこと。もろいから。とても、もろい気がしている。なんか、、、。

①と②だと、①で生きていくべきだなと思うんね。

絶対的に信じられるのって、自分の感覚と経験だから。


だけど②もひょこっと現れたりして。
 
全てを説明するのは、この紙面上じゃあムズカシイけど。

でも、不安でいっぱいになったり、余計な労力だと感じたり。

今の自分には、
これ以上傷ついたり、グラついたりする余力なんて
残されていないから、、、。
残されて、いないんだけれども、、、。
 

②を選んでしまいそうな、というか、

流れに身をまかせてみよう

と思う、自分もいます。

 ②で経験したこと、見たものは、

ショートストーリーなどにして、いつか公開できたらいいな、

というか、そのために経験するって思えば、

どんな結末をむかえようが、なんだかとっても、

心が軽くなる気が、します。

 
「この世界を、もてあそぼうぜ。」
 
って言葉を頭によぎったとき、よぎらせたときも、
ふっと、心が、軽くなるものです。
 
ああ、そうだった。って。
 
先日大阪でインターコンチネンタルに宿泊した際、
エントランスから徒歩30歩の距離で「バンクシーって誰?」展が開催されてました。

大阪滞在は24時間もないくらいだったんだけど、観光とかせず、その展示を見にいくことにしました。
ちなみに2022年秋には、富山でもやるみたい。
 

正直、
「バンクシーって名前は聞いたことあるっちゃあるけど、全然深く知らない。バンクシーって、誰?」程度の私でしたが、行ってよかった。
 

好きな作品、すごく好きなメッセージ、、、に出会えたってのもあるけどね。


なにかって、バンクシーの表現方法が、好きだと思った。
 
力強いメッセージを、彼なりの方法で、表現する。
 
それはまるで、世界をもてあそぶかのように。
 

で、イイなって思ったん。笑

世界をもてあそぶ感覚で、やる感じが。笑
 

その心意気は、私の心を軽くしてくれる気が、するのです。
 

そして世界を弄ぶ感覚で、

この夏を、えもーしょなるな予感のする夏を、

過ごしていくのではないか、26歳の私は。
 

そんな気が、しているのです。


こんなこと、〇〇ちゃんにしか、

言えない気だって、するのです。

自身がこっそりやってるnoteに、
これそのまま(〇〇ちゃんの名前部分は伏せて)
投稿しよかな。

noteってこういう文章が許される、個人的には平和な世界なのです。


〜余談〜

梅雨が、富山でも明けたみたいです。



「梅雨の空振り」

「空梅雨の乱」


今年の梅雨だけは、そういうふうに、

表現できそうですね。

私にとっては非常に、そんな気がしています。

この、もどかしい気持ちよ。

今朝起きて、アパート2階の窓からみえたのは。

カラッと晴れた、雲一つないような、青空だった。

 

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