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フェミニストへの批判は得てして誠実ではなく、嘘偽りしかない。

お七と言います。

アフガニスタンにて、タリバンによる深刻な女性の人権侵害が行われた件、これに関してフェミニストへ「アフガニスタンに行ってタリバンの蛮行を直接食い止めなかったら女性の人権家として嘘」という趣旨の批判がありました。

これを聞いて、「もっともだ」と思われる方は少なくとももっともな理屈が分かる方にはいないと思いますが、そのもっともではないということに関してはTwitterでフェミニスト諸氏が散々指摘してくれている為、私はTwitterでは(私の見た限りでは)指摘が見られなかった別の点を指摘しておこうと思います。

それは、こういったフェミニストへの批判に欠けた真面目さ、誠実さ、嘘偽りの無さです。

私は、フェミニストへの批判をする者が、本来自分でもおかしいと思う論理を敢えてフェミニストへの批判には採用している、ということをやっていると思っています。

それは単純にフェミニストへの悪意が理由です。

この方が良い説明をして下さってますが、尖閣だウイグルだ香港民主化だ表現の自由だと、ネットで批判している人は「実際に問題の起こっている現地に行って行動を起こさなきゃ」という理屈を採用してはいないんですよ。当たり前のことですよね。問題によっては治安の悪い場所も絡む上に、政治の問題を解決する為に行動を起こそうとなると、大抵はきな臭い連中と関わりを持たなくてはならないことになります。武装勢力、急襲に遭う可能性と常に隣り合わせという恐怖、銃声、どこか興奮している人々...そのような危険に満ちた場所が、複雑で深刻な政治事情の舞台になるのです。仮に実際に行動を起こすとしても、直接現地に赴くという選択はまず取らないでしょう。

しかしその実にもっともな話が、何故かアフガニスタンでタリバンが起こす女性の人権侵害問題に対しては、全く逆になって適用されます。

自分らが普段政治問題でも何でも批判している時には絶対に採らない理屈ではないんでしょうか?それを敢えてフェミニストへの批判には採用する理由、既に述べた悪意であり、フェミニストへの明確な攻撃の意思であり、その内容の悪質性から、言論のフェミサイドであると言って差し支えないです。

これは、「フェミニストはアフガニスタンに行ってタリバンに関われ。どんな危険な目に遭うかは知らないが」と言う害意の表明なのです。

最悪殺されるとしても。言論版フェミサイドです。

このような悪質極まりないフェミニスト批判をした人々は決して許せません。

まさか後から冗談だったとは言わないと思いますが。そんなことを言っても罪状は何も変わりません。むしろ悪化するかもしれません。

このタリバンの件に限らず、フェミニストへの批判にはこういった、「明確な悪意の為に意図的に道理の通らないことを捏ねる」行為が見られます。

それは誠実な批判の結果誤ったなどということではなく、嘘偽りの、ただただフェミニストへの悪意、害意、攻撃の意図で作られた批判ということなのです。

アンチの質というものは往々にして悪い傾向がありますが、フェミニストのアンチの質は際立って悪いと思います。真面目に相手するのは百害あって一利なしです。適正な対処は関わらずブロックということになるでしょうね。



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