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珈琲とカノジョ

「あ〜、神部くん。またブラック飲もうとしてるやん(笑)」
「今日はそういう気分なんやって〜」
「無理せんときって〜なぁなぁ〜」
「も〜、うるさいなぁ〜。ほっといてぇやぁ〜」

僕がブラックコーヒーをオーダーすると、
カノジョは必ずそうやっていじってくる。
そう。僕は、本当につい最近まで、全くブラックコーヒー、というよりも、
コーヒーという飲み物が、全く美味しいと思えなかった・・


後から分かったことだが、カノジョの実家は有名な珈琲店で、
それはそれは、物心ついた頃から、生粋のサラブレッドだった訳だ。
それとは対照的に、僕の実家では、誰もコーヒーを飲まない。
飲んだとしても、それもうカフェオレやんって言うくらいに、ミルクをいれる。
先日、大往生した祖母なんて、なくなる直前まで、コーヒーには必ず
上白糖をティースプーン山盛り3杯入れて飲んでいたくらいである。


思えば、カノジョを初めてデートに誘った日から、
私、神部屋宗介のコーヒーへの挑戦は始まっていた。

今となっては、どこの映画館で、どんな映画を見て、なんて感想を言ったのかさえ覚えていないほどに、事後の喫茶店での出来事が衝撃的だった。

「神部くん、いつも何飲んでんの?」
「僕はね、紅茶が好きだからね、いつもホットレモンティにするよ」
「へぇ・・そうなんや〜ふふ。コーヒーは飲んだりせぇへんの?」
「いやいや、コーヒーなんて・・今まで美味しいって思ったこともないよ(笑)」

カノジョは当時、ちょうど胸にかかるくらいの髪の長さで、
艶々して黒々とした品のある毛色と、白く透き通った肌とのコントラストが、
いつも僕の思考を停止させるくらいの、美しい輝きを放つのだが、
そう言う時のカノジョは、その可憐な美貌からは想像もつかないほどの、悪魔としか思えないくらい悪い顔をして、満面の笑みを向けてくるのだ。

「じゃぁ、店員さん呼ぶね」
「彼には、ホットレモンティをお願いします。それで、私は、えっと・・ブレンドをブラックで」
「え!そうなん?コーヒー、ブラックで飲めるん?」
「ふふ、そうなんよ。初めてのお店に来るとね、いつもブレンドをブラックで頼むようにしてるんよ」

その時の衝撃といえば、他に例えようがないほどに、えげつない一撃であった。
当時、紅茶にも砂糖を入れて飲んでいる僕を横目に見ながら、
ゆっくりと、ゆっくりと、そのお店の看板たるブレンドを、口に含ませながら、
味わっては飲み込んでいくその姿は、とても同い年の女の子とは思えない、
数年先を行っている大人の女性の雰囲気を漂わせて、それ以降、僕はもはや何も手につかず、気の利いた言葉も言えないまま、初回のデートを討ち死にしたのだった。

その日をきっかけにして、僕は、なんてバカな男なのだろうかと、
自分でも思うくらい、コーヒーを飲んだ。それもブラックで。
何度噴き出したことか・・と言うくらいに、過酷な修行の日々であった。

きっかけは、ただ、好きな女の子の隣で、
対等な位置に立って、カッコいい男になるために・・


今、僕の隣には、カノジョではない、全く別の女性がいる。
その別の女性の前で、僕はいつも、ブラックコーヒーを飲んでいる。
時には、自分で豆を挽き、普通よりも少し多めの量をペーパードリップで、
舌に纏わりつくほどに、とろりとした濃厚な一杯を淹れてしまうほどに。


一人の女性に狂わされた男の末路とは、
多かれ少なかれ、こういったものなのだろうなぁ・・と、
その漆黒の液体を口に含みながら、浮かぶ記憶と共に飲み込んでいくのだ。

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