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オルガンから落ちて、偏愛の沼にはまる

今回は、自身の偏愛遍歴からコミュニティの原点を探る。


三途の川

「三途の川」を見たことはありますか?
ぼくはある。

小学1年生のときのことだ。
学童保育で過ごしていたときに、部屋にあったオルガンの上に乗って遊んでいた。
そこまでしか覚えていないのだが、おそらく転んでしまったのか、オルガンから窓の外に頭から落ちて、意識不明になった。

あれはきっと三途の川だったのだろう。黒いモヤモヤのなかを歩き、人の声が聞こえるほうに進んで行くと、目が覚めた。

ぼくは病院で寝ていて、その横で医者がぼくの両親にこう言っていた。
「あと1ミリずれていたら、死んでいましたよ」と。

どうやら頭蓋骨を骨折してしまったらしい。
ぼくは、死ぬところだったのか。ぼんやりと、そう思った。

この経験から、人間ってすぐ死んじゃうんだな、ということを実感した。それなら、いつ死んでもいいように、やりたくないことより、やりたいことをやって生きていこう、とスイッチが入った。

そして、神様から2度目の人生をいただいたならば、これからは夢中になれることだけに取り組んでいこう、とも思った。

両親も、この事故以降は「勉強しなさい」と言わなくなり、代わりに「やりたいことをやりなさい」と言ってくれたので、ぼくは思う存分やりたいことに熱中した。

偏愛の歴史

(左)5歳のころのぼく。右は弟。

こうしてぼくは、のちのOSIROにつながる”偏愛”の沼へ入っていくのだが、思い返せば、偏愛の芽は幼少期から出ていた。

まだ小学校に入る前の5歳ごろには、新聞にのめり込んでいた。
家にある新聞をひたすら読み漁り、親に何度も「これはなんて読むの?」と聞いていたらしい。おかげで親は「この子は天才になるかも!」と期待したようだが…。

小学生になると、さまざまな偏愛に出合う。
東京・中野にある小学校に通っていた当時、「中野ブロードウェイ」が放課後のフィールドだった。サブカルチャーの聖地である中野ブロードウェイは、まさに偏愛の塊。
ここでの経験が、自分を形成する大事な要素になった。

たとえばブロードウェイの3階にある「ポニー」というおもちゃ屋さんでスロットカー(電気で走る模型の車)を少し年上の人たちと混ざって遊んでみたり、鉄道模型に興味が湧くと鉄道ジオラマを作成したり。
ブロードウェイのいろいろなお店を覗いて、偏愛の世界に惹かれていった。

小学生のときに始まったガンダムのアニメにも夢中になり、もっと知りたいと本を探すと大人向けのマニアックな本がデフォルトな環境だった。
鳥山明さんの漫画『ドラゴンボール』を読んだときには、あまりの面白さに「弟子にしてください」と手紙を書いたほど。(返事がなかったので諦めました…)

(右)6〜7歳ごろ、弟とともに自作の仮面ライダーでポーズ!
幼少期に集めていたミニカー

と、こんなふうにとにかく興味のある領域に没頭していたが、中学でテニス部に入ると今度はテニスにどっぷりはまった。下手だったが、下手なりに猛練習し、毎日テニス漬けだった。

その調子で高校でもテニス部に入るが、16歳になったらバイクに乗れることがわかると、1ヶ月であっさりテニスを辞め、教習所へ。
自分でも不思議だが、一度にひとつのことしか集中できないのだ。テニスを続けながら教習所に行くことだってできたはずなのに、バイクだ!と思ったらもうバイクのことで頭がいっぱい。

バイトしてヤマハの中型バイクを購入し、乗りまくった。
バイクをバラバラに分解して、磨いて、また組み立てるということもやった。我ながら謎である…。

そんなバイク三昧の高校時代は3年間通ったにも関わらず、なんと単位が足りなくて卒業できなかった。ショックで、バイクよりも引き篭もりに没入した。レンタルビデオ店で借りた映画を見て過ごし、おそらく1年で200本以上は見たと思う。

とはいえ、このままずっと家に引き篭っていても…と思い、一念発起して美大に進学した。

偏愛没頭はじぶんそのもの

その後の話はまた次回お伝えするとして、こうした没入型偏愛を重ねたおかげで、いろいろな人と話す際の引き出しが満たされ、またOSIROのコミュニティオーナーのように何かを偏愛している人の気持ちがよく分かるようになったのかもしれない。

この連載で自分の偏愛について改めて向き合ってみると、自分は没頭欲が強く、それに偏好(好みが一方に偏ること)がかけ合わさっていることに気がついた。

どうせいつか死んでしまうなら、他人がどう思うかは関係なく、純粋に自分がやりたい!という気持ちから、もっとできるようになりたい!と追求してしまう性分のようだ。
その結果、関心事が偏って狭くなり、深く没頭していったのかもしれない。

まさかオルガンから落ちて、それが偏愛につながっていくとは…人生とは本当に面白いものである。

次回お届けする出来事は「インターネットとの出合い、アーティストとしての目覚め」をお届けしたい。

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