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新聞がこない朝

つい先日のこと。
朝、いつものようにポストを開けると
そこにあるはずの新聞がなかった。

「ん?」
今日は休刊日?
いや、違う。
新聞は配達される……はず。

販売店へ電話をかけた。
けっこう長いあいだ呼び出し音が鳴り、諦めて切ろうとすると、
突然ピーーー」と鳴って留守電になった。

「ご用件をお話しください」
戸惑いながら「○○○の○○○です」と名乗り、朝刊が配達されていないことを告げた。
受話器を置き、こんな風に電話をするのは久しぶりのことだなと思う。
10年以上、同じ店から新聞をとっていて、僅か2,3回目だろうか?

8時を回っても朝刊は届かない。
今度は夫が電話をかける。
夫は毎朝、1時間以上かけて新聞を読む。
それが彼のルーティンなのだ。
記事を読み、数独を解き、最後に将棋欄で名人戦の棋譜とにらめっこ――。
その習慣が崩れ、夫はそわそわと落ち着かない。
落ち着きのない人が傍にいると、私も落ち着かない。

やがて午後になり、そろそろ夕刊が…という時間帯に突入した。
新聞は届かず、なんら連絡もない。

これはいくらなんでも異常だ。
私は意を決し、販売店へと向かった。


【毎日新聞】
【日本経済新聞】
【スポーツニッポン】
古ぼけた3つの看板が掛かった、小さな店だった。
10年以上の付き合いとは言っても、代金は口座振替だし、特に用事もないので、今まで来たことがない。

ガラスの引き戸を開けて中へ入った。
10畳ほどだろうか、薄暗い店の中に人の姿は見えなかった。
「ごめんください」
声をかけると、奥から50歳前後の男性が現れた。「なんでしょう?」

「○○○の○○○ですが」名乗ると、男性がうんうんと頷く。
「今日の新聞が来てないんですが……」
男性はまたうんうんと頷いた。
どうやら店主らしい。
彼が言った。

「うちはもう、昨日で店をやめたんですよ」

「だから、今日の新聞をどうのって言われてもねえ……」


驚きと困惑と怒りがごちゃ混ぜになり、頭がくらくらとした。
昨日でやめたから今日はもう関係ない? 何それ?
そんな私の顔を見て、男性が言った。

「おたくの電話のことはコンドの店に連絡してありますから」
 
コンドの店? 今度?
「何も聞いていませんけど……」
すると男性は、

「ヨミウリが配達しますから」と、安心しなさいと言わんばかりに答える。
「えっ! ヨミウリ新聞に代わるんですか?」
それは困る。ウチは毎日新聞が好きなのだ。
「いや、いや、ちゃんと毎日新聞が届きますよ。
 だけど、あそこはヨミウリの販売店だから、1カ月くらいしたら、ヨミウリに代えてあげてくださいよ」

もうこれ以上、何を話しても無駄だと悟った私は、「今度の店」たるヨミウリ新聞販売店の連絡先電話番号を書いたメモを受け取り、店を出た。

横断歩道を渡り、反対側から見ると、店は雨風に晒された庇が崩れかかり、
看板の文字は侘しく消えかかっていた。
あの店から10年以上ものあいだ、毎日、新聞を配達してくれたのかーー
それにしても、事前に一言知らせてくれても良かろうに。


その日夕方遅く、毎日新聞の夕刊が配達された。
「今度の店」からか? 
なにはともあれ、新聞は届けられた。


今後、新聞の宅配を望むなら、もう、朝日が良い、毎日が良い、などと選り好みはできないのかもしれない。

新聞が家の郵便受けに届くことじたいが、もはや「特別な事」となりつつあるのかもしれないから。
いつものように新聞を広げながら、そんな風に思った。