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両親は神様だったのか

2022年8月某日。晴れ。35℃。


実家に帰ってきている。正月ぶりだ。

実家ってのは、ほんとすごい。この情けない語彙力が恥ずかしくないのも実家がすごいからだ。下宿先と違って、飯を作らなくても飯が出てくる。旅館と違って、行くのに予約をしなくてもいい。高級ホテルと違ってくつろいでてもソワソワしない。お金を払わなくてもいい。なんならたまに貰えることもある。すごいでしょ、僕の実家。



最近になって「お袋も親父も、人間なんだな」と思う。つくづく思う。

久しぶりに会うと、顔が老けてたり背が縮んでたりするのを見るからでもあるし。自分が成人して社会に出て、精神的にちょっとだけ大人になってもいるし。薄給だけど、なんとか一人で暮らしてもいるし。家に小さなお子さんがいる先輩たちが、職場ではカッコよく仕事をしている姿を見るのもあるし。物理的にも心理的にも実家から離れたことがきっかけで、親ー子の関係がいい意味で崩壊してきた気もするし。

ちょっとずつ昔の出来事に関することとか、今どんなことを考えているとか、性格とか生き様とかを、親の態度から察する必要はなくなった。ちゃんと親自身が発する言葉で受け止めることができるようになってきたから。親を一人の人として認識できるようになってきたからこそ、そういう内面に興味を持つようになって、かつ勇気をもってタブーくさいところに質問を投げられるようになったのかなあ。




子供にとって、親は神だと思う。信仰や崇拝の対象という意味ではなく。お金や飯、住まい、衣服、エンタメなどを無償で提供してくれる、というニュアンスで。22年間、何から何まですべて、奢ってもらっていた訳だし。幼少期、親に見捨てられたり嫌われたりすることは、それすなわち生命の危機を意味して、逆に可愛がられればさぞかし生きやすくなるんじゃないか。だから必死に好かれようとする。好かれようとはしなくても、嫌われないようにはする。嫌われないようにした結果か分からないけど、運よく、可愛がられてここまできた。
じゃあ反抗期や思春期は、どういう原理なんだって質問への答えは、ちょっと思いつかないから一旦スルー。

もちろん親だって、我が子は可愛くてしょうがないだろう。見捨てたり嫌ったりするなんてことは、よっぽどのことがない限りあり得ないと思うけど。

ちょっと思想が強くなるけど、ほんとうにコウノトリが子を運んで来るのなら、見守ったり育てたりする責任はこれっぽっちもないと思う。ほんとうにそうなら、ね。でもそうじゃないならしっかり責任持てよ、と。可愛がるのは義務だろ、と。

もし仮にコウノトリが運んで来たとしても、義務のそれではなく内側から湧き出てくる自発的なそれで、ボクはボクの子を愛でてあげるよ。



本筋に戻すと、2-3年前まで親は神様だった。そして最近になってようやく、神様じゃなかった、人間だったんだと気づいた。そう思うと、よく子供に怒っていたのも、お互いに喧嘩していたのも、なんだかとっても疲れて見えていたのも、すべて納得がいく気がする。


でももうちょっと、深いところ、気恥ずかしいところ、耳を塞ぎたくなるところ、人間を人間たらしめるところ、人間臭いところ、にも土足で踏み込んでいきたい。ちゃんと親父が人間であることを、もっとちゃんと確認したい。

そうじゃないと、自分が誰かの親になれる気がしないから。こんな人間でも、誰かと付き合って結婚して子供をもうけてもいいんだって確信したいから。

だから、少なくとも親父が隠れるまでには、二人で飲みに行って、親子水入らずで、もちろんアルコールは入れるけど、話をしたいし聴きたい。「趣味は?」「どんな少年時代だったの?」「友達っているの?」「なんで結婚したの?」「お袋のどんなとこが好きなの?」「彼女はこれまで何人くらいいたの?」「子供は何人欲しかったの?」「子供がいて生活は豊かになった?」「子供の人生に全然口出ししなかったのはなんで?」「てかそもそも子供に興味あった?」「何歳まで生きる予定?」「仕事辞めたら何するの?」「浮気とかしてないの?」「なんでゴルフとタバコとノミカイをしないの?」「子供に結婚して欲しいの?」「孫の顔は見たい?」

こんなこと聴いたら、親父はなんて答えてくれるんだろうか。めちゃくちゃ惚気られたり愚痴られたりしたら嫌だなあ。でもそれもそれで、今なら受け止められる気がするけどさ。



なあ、親父。一杯ひっかけに行こうよ。

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