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今日の一句





わずらいもさきことかな大夕焼おおゆや




※【季語】 夕焼(ゆうやけ、ゆふやけ) 晩夏

【子季語】
ゆやけ、夕焼雲、梅雨夕焼

【解説】
夕方、日が西の空に沈んだ後もしばらくは空があかね色にそまり、なかなか日がくれない。夏の夕焼は大地を焼き尽くすごとく壮大である。


「きごさい歳時記」


「夕焼け」とはなんとも心を揺り動かす言葉なのでしょうか?
焼ける・・・ですよ。この表現方法はつくづく日本人を感じます。

そのほかにも【|暮《く》れなじむ ・黄昏たそがれ火点ひともし頃・空燃ゆ・残紅ざんこう紅霞こうか・夕明かり・夕映え・夕景】などたくさんの表現方法があります。

小学生の時に音楽で歌った「夕焼け小焼け」「赤とんぼ」などにも使われていますよね。



「夕焼け小焼け」

夕焼け小焼けで日が暮れて
山のお寺の鐘がなる
おててつないでみなかえろう
からすといっしょにかえりましょ


子供がかえったあとからは
まるい大きなお月さま
小鳥が夢を見るころは
空にはきらきら金の星



「赤とんぼ」


夕焼け小焼けのあかとんぼ
負われて見たのはいつの日か

山の畑の桑の実を
小籠(こかご)につんだはまぼろしか

十五で姐(ねえ)やは嫁にゆき
お里のたよりもたえはてた

夕やけ小やけの赤とんぼ
とまっているよ竿の先



※補足解説


教員によるコラム


童謡「赤とんぼ」について

(同志社大学の教員のコラムより抜粋させていただきました。)


三木露風作詞・山田耕筰作曲の「赤とんぼ」は、日本を代表する童謡ということで、二〇〇七年には「日本の歌百選」に撰ばれています。作詞されたのは大正十年八月で、「樫の木」という月刊雑誌に掲載されています。しかしながらそれは、題名も歌詞も現在のものとは少し違っていました。


赤蜻蛉
一 夕焼、小焼の、山の空、負はれて見たのは、まぼろしか。
二 山の畑の、桑の実を、小籠に摘んだは、いつの日か。
三 十五で、ねえやは嫁に行き、お里のたよりも絶えはてた。
四 夕やけ、こやけの、赤とんぼ、とまつてゐるよ、竿の先。
これに対して改定された(「小鳥の友」所収の)歌詞は、

赤とんぼ
一 夕焼、小焼の、あかとんぼ、負はれて見たのは、いつの日か。
二 山の畑の、桑の実を、小籠に、つんだは、まぼろしか。
三 十五で、姐やは嫁にゆき、お里の、たよりも、たえはてた。
四 夕やけ、小やけの、赤とんぼ。とまつてゐるよ、竿の先。

同志社大学の教員コラムより


歌詞については作詞家の三木露風が、自身の幼児体験を思い浮かべながら作ったと証言しています。その頃露風は北海道のトラピスト修道院で働いていました。ちょうど郷里(兵庫県揖西郡龍野町)の小学校の校歌の作詞を頼まれていたようで、そこから連想が働いたのでしょう。調べてみると小さい頃に両親が離婚し、露風は祖父の家で育てられたことがわかりました。北海道へ行ったのはどうやら母を追いかけてのことだったようです。

一番の「負はれて見た」を「追われて」と勘違いしている人もいるようですが、これは子守りに負んぶされて見たということです。その子守が三番に登場している「姐や」です。これを自分の姉さんと思っている人もいるようですが、子守として雇われていた「姐や」(少女)のことで間違いありません。

十五というのは、露風が十五歳になった時ではなく、姐やが十五歳でという意味です。ちょっと早い気もしますね。それよりも難解なのは、その後の「お里」の意味です。これを実家と考えると、誰の実家なのでしょうか。普通は姐やの実家と見ているようです。姐やが嫁に行ったので、実家との連絡も途絶えたというわけです。どうせなら「お里」を姐やの名前としたいところですが、いかがでしょうか。

さて「赤とんぼ」の歌詞を一番から四番まで詳しく見ていると、四番だけが現在形になっており、一番から三番までは過去形になっていることに気付きます。順序が逆ですが、ここから類推されるのは、大人になった露風(作詞当時三十二歳)が、ふと竿の先にとまっている赤とんぼを見て、そこから自分の幼い頃を回想していることになりそうです。

懐かしい姐や、私をおんぶしてくれた姐や。十五で嫁に行った後、消息はわからなくなったが、今も幸せに暮らしているだろうか。夕暮の中、露風はノスタルジーに浸りながら、「赤とんぼ」を作詞したのでしょう。


ちなみに四番の「赤とんぼとまつてゐるよ竿の先」など、これ以前に露風が作った俳句の一つでした。


あらためて美しい日本語を忘れないでいましょう。



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