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子どもとの距離感問題あれこれ
僕の尊敬するアイムフリー先生が、次のようなツイートをしていました。
若手の学級崩壊を起こしかけてるクラスを見に行くとほとんどが近所の兄ちゃん姉ちゃんになってしまっているパターンだ。子どもに好かれるには境界線を消すのが簡単なのだがそこに罠がある。私たちは教師として好かれなくてはならない。今このテーマのOJT研修を作成中だ。若手のヒントになれば嬉しい。
— アイムフリー (@TeacherhaGreat) November 10, 2019
境界線。
つまり、子どもとの距離感の問題。
この問題の本質は、教師が「子どもと仲良くなりたい」と思ってしまうことにあるわけですね。
でも、よく考えてみてください。
われわれ教師が税金からお給料を頂いているのは、「子どもを成長させる」という点において、です。
私たちの仕事は、子どもとお友達になることではありません。
教師として好かれる、とアイムフリー先生は述べています。
教師として。
どんな教師が好かれるのでしょうか?
完全な私見です。
①面白く、かつ学力がつく授業をしてくれる教師
②自分の話を聴いてくれる教師
③自分に興味をもってくれる教師
④話が面白い教師
⑤一緒に勉強に付き合ってくれる教師
⑥ダメな事をダメとはっきり教えてくれる教師
⑦いじめやトラブルが起こったときに頼れる教師
このような感じでしょうか。
子どもは「わかりやすい先生」が好きです。
わかりやすい先生とは、「良いことをしたらちゃんと認めてくれて、悪いことをしたら、ちゃんと叱ったり教えたりしてくれる先生」のことです。
では逆に、
どんな教師が嫌われるのでしょうか?
①退屈で、学力もつかない授業をする教師
②自分の話を聴いてくれない教師
③自分に興味をもってくれない教師
④話がつまらない教師
⑤勉強に付き合ってくれない教師
⑥ダメな事をダメと言えない教師
⑦いじめやトラブルが起こったときに相談しても解決しなさそうな教師
完全な独断と偏見ですが、こんな感じかな、と。
はい、ここで「近所の兄ちゃん姉ちゃん先生」に当てはまるものはいくつあるでしょうか?
②、③、⑥、⑦あたりは当てはまりそうですね。かなり痛いところです。
②、③。「近所の兄ちゃん姉ちゃん先生」には、子どもが一定数寄ってきます。一定数、です。全員ではありません。必ず寄ってこない子がいます。寄ってこない子というのは、内向的な子が多く、そういった子は、概して不安傾向の強い子たちです。その子たちにとって、担任の先生を見る際に最も大切なのは、「守ってくれそうかどうか」です。
そうです。今、Google発で組織論で盛んに言われている「心理的安全性」を確保できる先生かどうか、が重要なのです。
心理的安全性を担保できない先生を、子どもは信頼しません。「近所の兄ちゃん姉ちゃん先生」は、一部の(概ね学級内でそこそこカーストの高い)子どもたちからは、好かれているように見えます。しかし、その実、好かれているのではなく舐められているのであり、さらにそれ以外の子どもからは信頼も何も勝ち取れていない、という状態なのです。
そりゃ学級崩壊に向かっていきます。
まして、境界線を踏み越えて接近してきた子どもというのは、「お友達」という対等な関係性を基に寄ってきていますから、一度築いてしまったその関係性を崩すのには相当なエネルギーというか勇気が必要です。「なんで今まではお友達みたいだったのに、急に教師面すんだよ!?」という顛末がありありと見えます。これがあるために、一度こうなってしまったら、なかなか毅然とした態度を取ることができなくなり、ズルズルと主導権を握られ、一部の子どもたちに学級を支配されてしまうのです。
こうなると、味方してくれる子どもはいません。自分のことを好いて(舐めて)いる子どもは、教師より立場が上になっており、それ以外の子どもは、そんな教師に対しては呆れ・諦めが入っているからです。
「信頼」と「尊敬」があるか
「子どもと仲良くなろう」
そもそもこの気持ちがすでにズレてまして。
教師というのは、子どもを成長させる存在です。子どもがその人から何かを学びとろう、と思う存在です。それが教師の存在意義です。
であるならば、そこに「仲良し」という関係性が必要かどうか、です。
わかりますでしょうか。
例を出しましょう。
例えばイチロー選手。イチロー選手のことは、多くの方が尊敬していることでしょう。(尊敬していない場合、自分が尊敬している著名人と置き換えて考えてください)その場合、尊敬しているイチロー選手から「なにか学ぼう」という気持ちになることは簡単です。
私はイチロー選手から学ぼうと思い、本や動画を何度も拝見しました。めちゃくちゃ尊敬しています。
しかしここで気付きます。私とイチロー選手は仲が良いわけではありません。なんなら、親近感ゼロです。会ったことないもん。でも、「この人の考え方は勉強になる」と心の底から思います。
子どもを成長させるとき、「仲良くなる」というプロセスは、必ずしも必要ではありません。
要は、「教師は信頼のおける人間か」や、「教師は尊敬できる人間か」ということに尽きるのです。
だから、教師には「修養」が必要なのです。自分の人格を常に磨き、向上させていこうという意識が必要なのです。
若い先生は何を大切にすればいいか
「怒らない」とか「怒鳴らない」とか「子どもをコントロールしない」とか。聞こえはいいですよね。私も、こういった言葉に囚われて自分のやるべきことを見失った時期がありました。
実際、怒らず、怒鳴らず、圧を加えずに上手に学級経営や授業をする先生はいます。いますが、それには相当な技量が必要で、その先生たちはそれまでに実直な努力の積み重ねをしてきているはずです。
では、技量のない若手は何を大切にすべきか。
シンプルです。
「泥臭く、真正面から子どもと向き合うこと。本気で子どもと向き合って、言いべきことは言い、聴くところは聴く」
これを繰り返すことでしか、見えてこないものがあるはずです。
また、これを繰り返していると、必ず子どもたちに伝わるものがあります。それは必ずしも言語化されませんが、「この先生は本気で自分たちのことを考えてくれている」といった誠実さに繋がっています。
その結果、信頼を勝ち取るのです。
信頼や尊敬というのは、子どもに気に入られようとする教師が手にするのではありません。残念ながら、「こいつは自分達に媚びようとしている」ということを、子どもは敏感に感じ取ります。自分が好かれようとか、仲良くなろうとか、そうした雑念を敏感に感じ取ります。
雑念を排して自分達に向き合ってくれる教師が、信頼され尊敬されるのです。
今回はアイムフリー先生のツイートのおかげで、駄文ですが色々と思考することができました。今回も自分のお粗末な実践経験をもとに、教師の内面の弱い部分を書きました。はい、自分のことを棚に上げて…
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