見出し画像

「保育園はおしごと!」と言う息子(3歳半)。

なにやら、息子が「保育園はおしごと!」と言っておりまして。

(こいつは何を言ってるんだ…)

(もしかして、義務感で保育園に行ってるのか…)

と思いつつ、尋ねてみたのです。

「今日はどんなおしごとしてきたの?」

と。

そしたら、「○○くんと、△△ちゃんを笑わせた!」とか言うのですよ。

なんてカッコイイやつなんだ、と、我が息子ながら、すでに僕よりも人格的にデキる男になってしまっています。


義務感というニュアンスではなく、「人を幸せにする手段として」の「おしごと」観

これが息子(3歳半)の仕事観です。見習います。


勤労観は学校の道徳の授業にもありまして。

「なんのために働くのか」という問いに対しては、

・生きるため(最低限の経済的資源の確保)

・幸せになるため/充実感を得るため(やりがい)

・幸せにするため/人を喜ばせるため(利他行動)

といったものがあげられるのですが、どれが正解でどれが不正解とかはありません。

しかし、道徳の授業では、それぞれについての良さを押さえつつ、「使命感」「社会貢献」といった方向に向かうと”より良い感じやね”という落とし方をするのではないでしょうか。まあここらへんは賛否あると思いますが、今回は深入りせず。


とにもかくにも、息子にとっては、「○○くんを笑わせた、△△ちゃんを笑わせた」というのがおしごとなのだそうです。

普通に考えると、意味が分かりません。息子には、「人を笑わせなさい」といった義務などありません。しかし、なぜか息子は、保育園に行き、そうした行動を取り、その結果ともだちが笑う。それを自分のおしごとだと捉えているのです。


「仕事はたのしいもの」と思っている人は幸せかもしれない

冒頭の話をする息子は楽しそうでした。笑顔で話をしていました。

息子にとっては、

「おしごと」=「たのしいもの」

という等式が成り立っているようです。

なぜこのような勤労観をお持ちなのかはわかりませんが、少なくとも今の息子にとっては、仕事に対してのマイナスイメージはないようです。

昨今では、「ブラック企業」「働き方改革」といったワードがトレンドで、ともすれば「働く」ということへのマイナスイメージが浸透してしまいます。このことについて僕は重大な危機感をもっています。

確かに、労働環境は整備されてしかるべきですが、働くという行為にマイナスのイメージをもっている人が、幸せになれるでしょうか?まだ社会に出て働いていない子どもたちにとって、そのマイナスイメージはどのような影響を与えるでしょうか?きっと、「あー大人になりたくない。働きたくない」といった子が増えるでしょう。自分の未来に対して、そのようなネガティブなイメージを持った子が、今勉強を頑張れるでしょうか?

もちろん、生きるため、生活のための仕事だという側面は確実にあります。ただ、中学生を見ているとわかるのですが、子どもたちは、楽しそうに働いている大人を見ると、「働くことは楽しいんだ」と思うのです。勤労への意欲がわくのです。

それがその子の生きる希望となることもあります。

息子がなぜ、仕事を楽しいものだと捉えているかはわかりませんが、こうした価値観が、その子の「幸せを感じる力」を高めるのではないかと思います。


仕事を「人生を彩るもの」として捉えると

自分の息子のように、仕事を「人生を彩るもの」として捉えると、毎日が楽しくなります。なぜなら、仕事に従事している時間というのは、実質的に家族で過ごす時間よりも長いからです。

①家族で過ごす時間→安らぎの時間

 仕事している時間→我慢の時間

と考えている人と、

②家族で過ごす時間→安らぎの時間

 仕事している時間→楽しい時間

と考えている人とでは、幸福度も違うのではなかろうか、と。

こういう事を言うと、「社畜になる」とかいう意見を出してくる人もいるのですが、そういう人は極論すぎるんですね。笑。誰も「家族を犠牲にして働こう」なんて言っていません。

自分の人生の時間を「どう使うか」、というのは、自分がその時間を「どう捉えるか」というのと同義かもしれない、と思う今日この頃です。


久しぶりのテキトー子育て記事でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?