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イブキちゃんの聖書入門#56 「この世に絶対なんて絶対にない?」

"イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。"
ヨハネの福音書 14章6節


★相対主義の絶対性

⭐︎「この世界に絶対はない」

いつの時だったか、そのようなことを語る漫画の一場面に遭遇したことがあります。

私は違和感を覚えました。

「この世界に絶対はない」のであったら、何でその自身のセリフは絶対的であるかのように言い切れるのだろうか。

何でこの漫画の作者は、「絶対はない」とキャラクターに絶対的に断言させている段階で、その自身の論の矛盾に気付かないのだろうか、と。

⭐︎今の時代、私たちの周囲には「絶対的な基準なんかない」というメッセージで溢れているように思えます。

曰く、絶対的な善悪の基準なんかないんだ。

曰く、絶対的な権威なんかないんだ。

曰く、絶対的な男女の区別、性差なんかないんだ。

曰く、絶対的な神なんかいないんだ。

…etc

名のある哲学者も、「この世界には、普遍的に、また絶対的に、『これだ』という真実はない。各々がそれぞれの『自分の真実』を探求すれば良い」という耳当たりの良い言葉を口にします。

このような主張、世界観は、「ポストモダニズム」と呼ばれる思想運動を由来とするもので、20世紀半ば頃からアメリカを中心に世界的に広がって行き、哲学、芸術、ファッション、評論等、様々な分野に浸透して行きました。

「ポストモダニズム」とは、つまり「自分の尺度が世界の中心である」ということを肯定する相対主義の1つの到達点であり、ヒューマニズムです。

それは自分の内側に「神」を発見しようとするニューエイジ思想や、絶対的な創造主なる神の存在を否定し、人間の力によって理想社会をこの世に実現させようとする共産主義的リベラル思想と非常に相性が良く、これまでに多くの知識人や文化人を通して語られ、さもそれは自由で良いことである、前進的なことであるかのように伝えられて行きました。

ですので、私たち現代に生きる者たちは、多かれ少なかれ、あらゆる形でその影響を受けており、ポストモダニズムが内包するその矛盾、欺瞞に気付くことなく、「この世界に絶対はない」とドヤ顔で断言してしまうのです。

★霧は晴れる

⭐︎実のところ、私も聖書に出会う以前の、クリスチャンではなかった時代は、ポストモダニズムがもたらす幻想の渦中におり、「この世界に絶対はない。真理などない」というメッセージを絶対的に疑うことなく信じる者の一人でした。

左翼思想には一定の警戒は払っていましたが、それでも知的なリベラル層に自分を位置付けたくて、色々と背伸びをしていたと思います。

だからこそわかるのですが、ポストモダニズム的世界観に埋没していると、「絶対者」(それは殆どの場合、一神教的創造者なる神を想定する)の存在を否定し、憎み、「そんなのは時代遅れのものだ」と一蹴します。
「絶対者」抜きの人間賛歌に人類の理想形、ひいては自分自身に対する「何かしらの救い」を見出そうとします。

「絶対者」(創造者なる神)に囚われず、「絶対者」の虚像を破壊し、人間が人間の力で理想社会を作る、自分が自分として生きて行くことこそが、もっと言えば、自分が「神」になることが、人類が長い年月を経て手に入れた答えだ、勝利だと確信しています。

しかし、その確信は錯覚です。

"イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。"
ヨハネの福音書 14章6節

⭐︎聖書に出会い、イエス・キリストが語るこの言葉にぶつかった時、私はそれまで正解だと信じて疑わなかったポストモダニズム的世界観がイリュージョンであることを悟りました。

イエスは聖書の中で終始一貫して「自分(イエス・キリスト)こそが神(旧約聖書で啓示された創造主なる神)である」と語っています。

そしてその神こそが、道であり、真理であり、いのちなのだ、その神を通してでなければ、誰一人として「父のみもと」(天国)へは行けないのだ、と断言しています。

イエス・キリストは「絶対者の存在が果たして存在するかどうか」を論じたことがなく、哲学的な抽象論抜きに、絶対者(神)に対して私たちがどのような態度を取るのか、拒否するのか、それとも向き合うのかを、正に横綱相撲で常に問い掛けて来ます。
そこには一切の忖度はありません。

この力強さは一体何なのでしょうか?
もしこのキリストの言葉が真実でないのなら、では一体何が真実なのでしょうか?

この宇宙の創造主である、人類の歴史上に姿を現された絶対者、イエス・キリストの前では、あらゆる種類のポストモダニズム、相対主義的思索は藁の家のように吹き飛ばされてしまうのです。

あなたはこのイエス・キリストの言葉を「その通り」と受け取りますか?
それとも、未だそれでも「この世界には絶対はない」と信じ、拒否しますか?

どちらを選ぶにしても、そこには「信仰」が求められています。

幼子のように、キリストを信じる人は幸いです。

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