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イブキちゃんの聖書入門#82 「聖書的終末論②預言の意味(後編)」

"わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのような一人の預言者を起こして、彼の口にわたしのことばを授ける。彼はわたしが命じることすべてを彼らに告げる。"
申命記 18章18節

※前回(#81「聖書的終末論①預言の意味(前編)」)の続きです。

☆世間一般的には、イエス・キリストは「キリスト教の開祖である」と思われている節があります。

しかし、キリストは「キリスト教」という新しい宗教を創設し、広めたのではありません。

キリストは、人として受肉した三位一体の神の第二位格の神、「子なる神」として、旧約聖書(ヘブライ語聖書)が与えられたイスラエルの民に対して、ご自身こそが彼らの聖書で預言された「イスラエルのメシア」であると宣言されたのです。

当時のユダヤ人に与えられていたそれまでの啓示(聖書の内容)の成就として、「初臨に関する預言」の成就という側面から見れば「最後の犠牲の小羊」として、全人類の罪をご自身の犠牲をもって贖う為に、キリストはこの地上に来られて活動されたのです。

☆前回の最後の方で、「イエス・キリストは預言者である」という旨の内容を述べたかと思います。

その通り、ナザレのイエスとして受肉し、この地上生涯を送られた時、つまり一度目に地上に臨まれた時(初臨の時)、全人類の罪の贖いの為に十字架にかかるべき「子なる神」キリストは、「父なる神」の言葉をイスラエルの民に届ける「預言者」としての働きを全うされました。

しかし、ただの預言者ではありません。

それまでイスラエルには数多くの預言者が現れてきましたが、イエス・キリストこそが「預言者の中の預言者(The Prophet)」であったのです。

"わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのような一人の預言者を起こして、彼の口にわたしのことばを授ける。彼はわたしが命じることすべてを彼らに告げる。"
申命記 18章18節

☆この箇所は旧約聖書の申命記と呼ばれる書に収録されている一節で、モーセがエジプトで奴隷状態であったイスラエルの民を約束の地まで導く道中、神から与えられた言葉です。

ここで示されている「あなた(モーセ)のような一人の預言者」とは、究極的にはイエス・キリストです。

「イスラエルの民を混迷の中から導く『モーセのような一人の預言者』がいずれ現れる」

との預言を、キリストが降誕する約1,500年も前に、「初代にして最大の預言者」とも見なされているモーセは神から直接受け、そしてそれをそのまま書き記したのでした。

☆ユダヤ人は聖書の民です。

特にキリストが降誕された時代のユダヤ人は、ほぼ全員が幼い時からユダヤ教の宗教教育が施されており、ラビ(教師)ではなくてもある程度の旧約聖書(ユダヤ教的にはヘブライ語聖書)の知識があります。

なので、イエスが行う数々の奇跡を目の当たりにし、ラビが語るメッセージとは異質の権威あるイエスの言葉を聞いたユダヤの群衆の一部はこぞって、「このお方、ナザレのイエスは、確かにあの預言者だ」と叫んだのです。

"このことばを聞いて、群衆の中には、「この方は、確かにあの預言者だ」と言う人たちがいた。"
ヨハネの福音書 7章40節

☆「あの預言者」の「あの」と訳されている部分は、ギリシャ語の原文では定冠詞「ハァ「」」(英語に訳せば〝The〟)にあたります。

定冠詞とは常識的に世界に1つしかないものを表す為の冠詞であり、よって当時のユダヤ人にとっての「あの預言者(The Prophet)」と言えば、申命記で預言された「モーセのような一人の預言者」以外に他ならないのです。

しかしながら、その後の民衆や宗教的指導者たちの反応を見ると、悲しいことに「『モーセのような一人の預言者』は『約束のメシア』に違いない」というメシア待望はありながらも、「目の前に現れたイエスこそ、そのお方である」という明確な理解に至ってなかったことがわかります。

"別の人たちは「この方はキリストだ」と言った。しかし、このように言う人たちもいた。「キリストはガリラヤから出るだろうか。
キリストはダビデの子孫から、ダビデがいた村、ベツレヘムから出ると、聖書は言っているではないか。」
こうして、イエスのことで群衆の間に分裂が生じた。"
ヨハネの福音書 7章41~43節

結果として、大部分のユダヤ人は今現在に至るまで、「ナザレのイエスこそが約束のメシアである」ということに未だ目が開かれていません。

☆ところで皆さんは、「良く当たる占い」というような触れ込みを、ネット上とかで見たことはありますか?

その「良く当たる」とは、的中率で言えば何%ぐらいなのでしょうか?

言ったことの三分の一でも当たれば、世間的には「凄い!未来予知だ!本物だ!」ともてはやされるのではないかと思います。

しかし、前回も述べたように、聖書が示す「預言」は、そのような「占い」とは全く違います。

神に立てられた真の預言者のその預言は必ず成就しなければなりません。

"預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼におびえることはない。"
申命記 18章22節

ワインに一滴でも泥水が混入すれば、それはもはやワインではなく「泥水」であるように、100%に限りなく近い、例え的中率99.999…%であっても「偽預言者」です。

真実なる神の言葉を預かり、取り次いでいる以上は、その預言の的中率は100%で然るべきであり、それ以外にはあり得ないのです。

そうでなければ、神を偽りとすることになってしまうのです。

実際に旧約聖書に残されている神から任命された預言者たちのイスラエル民族やキリストに関することの預言は、これまでの人類の歴史の中で全て実現して来ました。

そのような預言者たちの頂点に立つ、「預言者の中の預言者」であるキリストの言葉は、尚のこと、全てが真実であり、全人類が耳を傾けるべきものです。

いやむしろ、キリストは真実以外を語ることが出来ないお方であり、キリスト以外に真実を語れる者は居ません。

そのキリストは終末に何が起こるのかを包み隠さずに預言されています。

私たちは「究極の預言者」キリストの言葉を無視することは出来ないのです。

(次回「聖書的終末論③」に続きます)。

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