ばあちゃん久しぶり。沖縄の一周忌(イヌイ)をしてきた話
2022年末に父方の祖母が他界した。長寿の島「沖縄」に実家があるということもあり、私は年齢に対して死別の経験が少ないのだと思う。
まだ慣れぬ、いや一生慣れることのない離別の衝撃を受けた私は、祖母との別れにはしくしくと涙を流し、しばらくは喪失感に耐えなければならんのか、と覚悟して葬式に向かった。のだが。
贈る言葉が「ラーメン食べ過ぎんなよ」だから、まあそういう温度感なのである。
泣き笑いを飽きるまで繰り返し、最終的に涙の跡を頬に残しながら舌を出して「ばあちゃんまたね〜」ヘラヘラ空に手を振るような気分で見送った。
そしてそれが許されるような婆であり、愛しき親戚たちなのだ。
そして一年が過ぎ、また沖縄に降り立つ時がやってきた。12月の沖縄はとにかく温い。まるで本土の梅雨のような空気感だ。「ほら、蘭も咲いているヨ。アカバナーもきれいだネ」な〜んてほのぼの南国気分を味わっていたいのだが、現実がそれを阻止をする。
あたしゃ、一周忌を詳しく知らない。しかも”沖縄”という条件が付くだけで、なんだか非常にカオスそう。
とりあえず何か心構えを父に聞いてみると
「俺はジーパンとアディダスの黒いポロシャツで行く」
とのこと。おいおいおい、なぜ法事にジーパンという文字が飛び出すのか。しかもなぜにアディダス。父よ、法事に吸汗速乾機能はいらんよ。
スガキヤ袋麺を啜りながら前日にミーティングを
私が実家へ辿り着いたのは法事の前日だった。
結局、ジーパン+アディダスについては、「内輪でやる法事なのでそのくらいラフでいいぜ」の意訳であったらしく、私も直前に近所の古着屋で1,500円のブラックワンピースを購入し、事なきを得た。
「むしろキチンとした礼服だと浮いちゃうよ」とアドバイスがあり、さじ加減の難しさを痛感したのであった。
さて、法事の当日は何をするのか。根本的な疑問だが、父に聞いても「俺は前日まで地元の仲間と飲み歩く」という彼の肝臓がフル稼働するとの蛇足的情報しか得られなかった。頼りの綱は叔母さんたちだ。
従兄のお土産のスガキヤ袋麺を啜りながら、叔母に明日の流れを教えてもらうことになった。この時点で法事前日20時である。
「午後3時にお坊さんがうちに来るって。だから午前中に墓へ行って挨拶して、さっさと戻ってきて家をセッティングするよ」
ほう、割とバタバタとするのだな。だが、内輪だけだと聞いているし、どうせいつもの親戚しかいないだろうから、そんなに焦ることはないのではなかろうか。と、呑気に私は頷いた。
「でさー、親戚しか来ない予定なんだけど、友達とかで来たいって言っている人が多くてさぁ」
と、叔母が不穏なことを口にした。確か昨年のお葬式も内輪だけでという建前で、大人数が入れ替わり立ち替わりする大行事へと発展したのではなかったっけ。
「だから業者の方に来てもらって仕出しやセッティングはお願いするつもり。……で、沖縄の法事って本来ならば、男性陣が墓参り、女性陣が家の支度するわけよ。あんたの父さんは今何してる?」
「父は今頃、どこかで酒を浴びるように飲んでいることでしょう」
「あい、まじか」
「まじよ」
一般的な沖縄の一周忌では「男は墓へ、女は家で準備を」
調べたところによると、沖縄では一周忌のことを「イヌイ」と呼ぶのだそうだ。そしてその作法も、本土とは一風異なる独特の文化と仏教の作法が入り混じったものとなる。
沖縄には檀家制度がないと言われているが、法要の際にはお坊さんを呼んで、読経供養をしてもらう家は多く、おそらく我が家も例外ではない。だが、中にはユタにお願いしたり、自分たちだけで済ませるパターンもあるという。
当日の流れとしては、男性陣がお墓参りに出かけ、女性陣が家でお供物の準備をするのが一般的だという。
参考:沖縄の一年忌(イヌイ)の法要。忙しい時でも進める手順|沖縄メモリアル整備協会
しかし十二分な人数の男性陣がいない家、もしくは男性陣がハングオーバーで倒れているケースはどうすれば良いのだろう?
そんなことは、どこを調べても書いていない。つまりやれる人間がやるしかない、ということである。
ウチカビには「あの世では使いすぎるな」と注意を添えて
さあ、勝負の日が始まった。ミーティング後、深夜まで従兄妹たちとポケモンをしていて寝不足なのよとは口が裂けても言えまい。目の下のクマをコンシーラーで塗り固め一周忌の長い1日を始めよう。
まずはお墓参りへ向かう。お茶やお水、お酒、お供物の文化はおそらく内地と同じだが、沖縄ではあの世のお金「ウチカビ」がマストアイテムとなる。
ウチカビは二重丸が5×7もしくは5×10で刻印がされている黄色い紙で、あのいわゆる「あの世の通貨」だ。
(”沖つら”こと空えぐみ先生の「沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる」にもウチカビが登場するのでぜひ!ていうか沖つらは良いぞ!!)
現世では20枚ほどが束になって数百円で販売されているが、あちらに送金(焚き上げ)すると1枚あたり数十万ほどに化けるそうなのだ。そのためあの世ではスーパーインフレが発生しているとも噂されており、「それならいっぱい焚き上げちゃおうぜ」と悪ふざけしたくなるのは人の性である。
だが、私の祖母は金にだらしないことに定評があるため、あの世でも面倒ごとを起こしてもらっては困ると我々孫たちは一致団結した。
墓参りであれば本来、銭倉(ジンクラ)と呼ばれる場所で焚き上げるそうだが、祖母の眠るメモリアルパークではのちほどまとめて焚き上げるという仕組みを取っているため、ウチカビに名前とメッセージを書いた札を貼り付け指定の箱に入れるのだ。
秀才な従妹がスッと自然な動作で筆を取ると、さらさらとメッセージを書いていく。『使いすぎちゃダメだからね』彼女の美しい筆跡が、我々の本音を端的に示していた。ラーメンを食いすぎるな、に加えて金を使いすぎるなという至極真っ当な注意書きが足されたのである。
お坊さんは毎年違う? 謎深まる指パッチン読経
さて墓から戻り、ここからが時間の戦いである。お坊さんがいらっしゃるのが15時。通常運行モードの家を法事モードに切り替えなければならない。リビングのソファの向きを変え、仏間を掃除し、お料理の準備を進め……。
てんやわんやという擬音がぴったりの忙しさで、分担しながら用意を進めていった。
ところで、だ。今日いらっしゃるお坊さんはどの宗派の方なのだろうか。誰に聞いても「わからん」の一点張りなのだ。従姉によると去年のお坊さんは、面白かったという。
私は昨年の葬儀は残念ながら諸事情により、皆より一足先に離脱したため読経供養に立ち会えなかった。
従姉曰く、「なんかねぇ、去年のお坊さんはお経をあげながら指をぱっちんって何度も鳴らしてた。邪気払いなのかな。なんかシュールで面白くて、笑いがね……」
そっちの面白いかい!
お説教がウィットに富んでいて面白かったという話かと思っていたら、単純にお経が面白かったというのである。しかもみんなそれで笑いを堪えていたというのだから、我ながらなんと呑気な一家だ。
そのため、知識がほぼない我々は今日のお坊さんは指を鳴らすのか、それとも鳴らさないのか、だけであれこれ期待を膨らませていた。
結果から言うと「指を鳴らさないお坊さん」だった。果たして昨年の指パッチンする方はどの宗派の方だったのか謎は深まるばかりである。そして今年のお坊さんはどのお寺から来た方だったのか。檀家制度のない文化圏の法事は、こうもユルユルで呑気なのだから私の性格に合っている。
註)今回書いたのは、あくまでも私の実家の話であり、沖縄全土に普遍的に当てはまるものではない。ひとつのケースとしておおらかな気持ちで受け止めていただきたい。
うさんみが大変美味で私は驚きました
お坊さんをお送りした後は、本土と同じように「故人を偲んで語らう会」が自然と始まる。お供えしていた御三味(うさんみ)をつまみながらビールを飲み、しみじみとした時間が過ぎていった。
ちなみにお供えものを我々がいただくことを、沖縄では「うさんでー」という。お供えものをいただくことで、ご先祖さまの加護が受けられるそうなのだ。そのため沖縄の法事では「うさんでーするよ!」というセリフが飛び交うが、決して「ウ☆SUNDAY」と言っているわけではない。
それにしてもだ、うさんみが大変美味しゅうございます!!!
参考にいただきたいのは下記の沖縄法事料理「重箱おかず7品」ラインナップ。
左上から時計回りに魚天ぷら・ごぼう・こんぶ・こんにゃく・三枚肉・厚揚げ・かまぼこである。
これがシンプルに美味なのだ。沖縄の味付けは基本的にカツオ出汁と昆布出汁であっさりとしており、私もその味付けで育ってきた。テーブルに並んだおかずにはどれにも優しいお出汁の風味が染みこんでおり、本当においしい。味付けも濃すぎず、これならいくらでも食べ続けられる。
「ばあちゃん、こんなおいしいものを先に食べてたのか〜、羨ましいぞ」と思いながら、オリオンビールを啜り魚てんぷらを囓れば、それっぽく沖縄の法事がまとまるのである。
うさんみを詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。ちむどんどんでも出てたんだね。
そして来年へ。ばあちゃんまたね〜
そんなこんなで、一周忌が無事終わった。変な話だが、昨年のお葬式を経て、我々一族の結束力を感じる孫なのである。
それにしてもばあちゃんよ。未だにばあちゃんがいない家は、なんだかヘンテコで慣れないが、こうして時間が過ぎていくみたいだ。そっちでは倹約を心がけながら、たくさんの友達を作っておくれ。ってもう、友達だらけか。